二十歳の自分への手紙
特集テーマ「ごほうび」関連企画!
ライターにとっての「ごほうび」それは……
ズバリ、自分が書いた記事にリアクションをもらうこと!
そこで、ライターからライターへ、記事の感想や、記事を踏まえて執筆した書き下ろし記事をリレーしてもらう企画をお届けします!
1回目となる今回は【捺稀】→【鹿の子】へ!
取り上げた記事は、鹿の子が昨年11月に公開したこの記事です。
鹿の子ちゃんの文章を読んで思い出した。小6の時、私も二十歳の自分宛に手紙を書き、担任の先生に預けたことを。
手紙だけでなく、当時アルバムを買って聴くほどハマっていた、いきものがかりの特典カードを入れた記憶がある。そこそこの宝物を素直に入れてしまったあたり、我ながら幼少期の自分に可愛さを感じる……いや、何を言っているのか。
とっくに二十歳を過ぎてしまったし、流石にもう先生から送られてくる気はしないが、宝物を返して欲しい気がしなくもない……なんてね。
肝心の内容だが、正直何を書いたのかはよく覚えていない。「大学生になっているのか」「ちゃんとしっかりと生きているか」みたいなことを書いていたような気もする。多分。
“クラス全員分の手紙をご自宅で8年間保管して、忘れず投函してくれた先生は偉人だ。”と鹿の子ちゃんが言う通り、彼女の先生は素晴らしいと思う。中学に上がる前という節目に二十歳の自分に手紙を書かせる先生はいるかもしれない。というか私の先生も書かせてくれた。ただ、実際に二十歳になって本人の手元に届くかは分からない。現に私の手元には届いていないわけで……うらやましさを感じている。
もし小6の頃に出会っていたら、私たちはどんな関係性になれたんだろう。なんて妄想をしたところで過去には戻れないわけで。
せっかくなので(?)勝手ながら鹿の子ちゃんと私(捺稀)の「二十歳の自分への手紙」の在り方の違いを比べてみようかと思います。
“ 私の夢は、人の役に立つモノを創る人になる事です。
夢が変わってても、がんばってね。”
と小6の鹿の子ちゃんは書いていたらしいし、「表現を人に届ける仕事がしたい」という思いがあったらしい。
私はどうだったかな。卒業文集には「小説家」と書いていたはず。本気でなれるとは思っていなかったけど。ただし記憶が正しければそんなことは手紙には全く書いていなかったと思う。
“『将来大人になったら、子ども時代の大切なものをすべて忘れて心底つまらない人間になるんだろうな』と思っていた”と鹿の子ちゃんは言っている。
その頃の私の心境はどうだったかな。大人になったら現実を見て生きていかなくてはいけないとは思っていたはずだ。当時の私はTVから流れてくる「就職氷河期」というワードに強く影響を受けていた。きっと「小説家」に憧れていられるのは今だけで、安定した仕事に就けるかどうかが大事なんだろうな。なので「ちゃんとしっかり生きてるか」みたいなことしか書けなかった気がする。
小6の鹿の子ちゃんは“自分の大切な部分に嘘をつくことはできないから、『モノ』とか『創る』の言い回しで、プライドとの塩梅を取っている”らしい。
小6の私は好きなものを好きと言うことは良しとしたのか、いきものがかりの特典カードを入れておいたのではないかと思う。多分。
私としては小6の自分が思い描いていた通りの大人になれたとは思わないし、なる必要もないとは思う。
でも小6の私たちに「悪くはない」と言ってもらえるといいね。そんな大人の私たちでありたいね。
鹿の子ちゃんの文章を読んで、そんな風に思いました。
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捺稀(なつき)と申します。親から授かりし本名です。
好奇心の赴くままに生きているその辺の会社員です。映像身体学部ではなく、INIAD(東洋大学情報連携学部)出身です。
kikusukuを通じて、好きなもの・こと・人の繋がりを広げていけたら良いなと思っています。よろしくお願いします!