毎日発熱日和
高校生の頃までは、とにかく日常的に「熱を出したい」と思っていた。
それ以外に休む方法を知らなかったからだ。
お楽しみ会の劇でオチのギャグ役を押し付けられ、帰って布団の中をのたうち回った次の日も、
同級生と揉めて悪口まみれの散々なメールを受け取った次の日も、
初めて恋人と別れて表情筋が一枚のこんにゃくのようになってしまった次の日も、
私の脇の下は36.9℃を超えることなく、常に最高のコンディションを保っていた。
心がどんなに青ざめていても、身体はいつだってバカでかい声で
「しんどくても逃げんとやっていこうや~!」と肩を組んでくる。
そういうバランスの中で生きてきたのだけれど。
大学に入ったばかりの頃、我々家族は土地を手放すことになり、
同時に大人の事情で、実家を重機でぺちゃんこにする必要に迫られた。
当たり前という言葉すら意識してこなかったくらい、
ずっと帰ってこられるものだと思っていた、この家。
がらんどうになった自分の部屋で大の字になったら
涙が出てきたりするかしら......と思ったけど、
心は動揺を通り過ぎていて、とてもつまらない気分になった。
なんだこの部屋、ただ家財道具を運び出した程度で急に匂いまで変わりやがって。
泣くどころかむしろそんな風にムカついてきて、
何の感傷も湧かないまま新しい家に引っ越したその夜、
私は久々に熱を出した。
というか、正確には微熱だったのだけれど、怠くて怠くて動けない。
寝ても起きても怠い。絶対に高熱だ!と思っても、せいぜい37.3℃。
がらんどうで、埃っぽくなって、それでも憎めなかったあの家で
思わず固まってしまった心と身体を無視して、無理やり玄関を後にした時から
これまで決して離れることのなかった私の心身の結びつきは、少し絡まってしまったようだった。
前触れのない怠さと微熱はこの一件で片付くことはなく、その後4年間を通して度々出会うことになる。
病院の先生が首を捻るところも、もう見飽きてしまった。
社会人になって、不調とか言ってられないくらいハードな仕事の中で濁流に揉まれていたら、いつの間にかこの不調とは縁が切れていた。
大層な荒療治なので、もし同じような悩みを抱えている人がいても絶対に真似しないでほしいのだけれど、
それこそ家で寝ていても治らないなら、
敢えて新しいことを始めてみるのはアリなのかもしれない。
できれば、連帯できる誰かと一緒に。
たかが微熱されど微熱で、散々嫌な思いをした私だけれど、
一番身近で、一番どうにもならない存在こそが自分の心身なんだと思い知れたのは財産だったのかも。
記憶の美化の結果、今は思っている。