「ニュアンス」の中で香りを聴く
寂しさ。
あなたは何と読むだろう。
さびしさ。あるいは、さみしさ。
「さびしい」と「さみしい」の違いも知らずに、私は「寂しさ」について考えてみることにした。
まずは検索してみる。
“さびしい さみしい 違い”
A. たいていの場合、どちらを使ってもかまいません。ただし、「ひっそりしている」という意味の場合には「さびしい」が使われることが多いようです。
NHK放送文化研究所サイト(こちら)
どっちでも良いらしい。その「どちらでも良さ」って、なんだかさびしいなと感じる。
あなたは「さびしい」と「さみしい」を意図的に使い分けますか。
その違いについて考えたことはありますか。
きっと、ある人は「さびしい」の方が好きだなーとか、またある人は「さみしい」の方がよく使うなーとか、そもそも意識したことなかったなーという人もいることでしょう。
私はと言えば、なんとなく二つを使い分けている。しかし「どうやって使い分けているのか」と問われるとよく分からない。
ふわっとしたイメージで言えば、書き言葉・しっかりした場面では「さびしい」で、話し言葉や日常的な場面では「さみしい」を使っている。「さみしい」の方が、少しだけ身近な言葉というか、より自分の近くにいるような気がする。なんとなく。
きっと人それぞれの「寂しい」があって
その(時に無意識な)チョイスに、その人やその時の気持ちが表れているのではないか。
「び」だろうと「み」だろうとどっちでも良い場合もあるかもしれない。でも、例え大差なくとも、そこで「び/み」が選ばれたということによって“何か”は生まれている。
明確に違いが分からずとも、はっきりと見えるものではなくとも、そこに薫る“何か”。
そういう「微妙」は、その人にとっての「絶妙」で、その「妙」にこそ思いを馳せておきたいのです。
……ん?ちょっと待った。
じゃあ「妙」ってどんな意味なんだろう。
検索。
デジタル大辞泉(こちら)
- いうにいわれぬほどすぐれていること。きわめてよいこと。また、そのさま。「演技の—」「自然の—」「言い得て—だ」
- 不思議なこと。奇妙なこと。また、そのさま。
更に、こんな意味も出てきた。
仏教では元来、人間が知ることができないようなことを「妙」としている。
浄楽寺HPより(こちら)
もしかしたら「み」と「び」の間には、人間が知ることもできないような何かが広がっているのかもしれない。
なんて淡い期待を抱いて
「寂しさ」の「妙」を、もう少し考えてみようと思う。
(2月につづく)

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kikusuku編集長のひなたです。演劇とテレビドラマと甘いものと寝ることが好き。立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻・博士前期課程修了。