ともに生きる
魚交です。「ととこも」と読みます。面白そうなことやってるなーと思ってたらまさかのお声がけ。飛び入りで参加することになりました。
アイマスポケモンウルトラマンと、あと他に言葉と音楽で生きています。どうぞよしなに。
アイコンは鮫でもなんでもない美味しそうなししゃもです。
魚交です。
自己紹介から日も浅いうちに、11月のテーマである「ともに生きる」ということについて、
徒然なるままに日暮らし画面に向かいて、なんとなく考えてみました。
人が生きる上で、それはもうたくさんのものとともにあります。
家族、友人、同期、他人、はたまた映画、音楽、景色。
羅列してみたらなんだか面白いリズムになった気がしますが、こうして数えられるものなんてほんの、ほんの一部で、実際はもっと途方もないほどの何かとともにあります。
それは、彼にとっては生きる糧であり、今そこに自分を繋ぎとめているものかもしれない。
それは、彼女にとっては生きた理由であり、いつかのどこかを夢見させたものかもしれない。
それがどんな風に現れて、どんな形を成して、自分の中のどこに居着くのか、
そんなのはただの運です。
生き切った時に初めて、自分が何を持っていたのか、何とともに生きてきたのかを知ることになる。
そんな経験はまだしていないので想像でしかありませんが。
とはいえ、生き切るよりも前に僕は、「僕」とともにあることを知っています。
今こうして緩やかにキーボードを滑る指先も、冷蔵庫のモーター音をBGMにした耳も、
花粉という敵を前にしてさぞ立派に防衛機能を果たす鼻も、すべて「僕」です。
僕の認識する「僕」というものは、きっと認識した気になって、そのくせ何もわからないまま、
僕の中だか外だかわからない場所の、それでも一番近くにいて、
ふとした瞬間に手を振ったり目を逸らしたりして、僕に何かを呼びかけてきます。
「僕」は簡単に変わってしまって、同じ瞬間になんて戻れないけれど、
これから先もずっと変わることはなく、「やってる?」などと暖簾をくぐりながら
へらへらしているのでしょう。
僕は「僕」とともに生きて、「僕」とともに生き切ります。
その最期のまばたきのまたたきの間に、「僕」以外の何かとともにあることが出来たなら、
それはきっと、幸せなことだと思うのです。
運よく「僕」と同じくらいの場所に居着いた何かたちによって、「僕」は段々と形を変え、
それが僕にも伝わって、僕自身が変わっていく。
それを寂しいと思う心はいつの間にか失くしてしまったけれど、
ふと「変わった」と思うとどうしてか、知っているようで何も知らない「僕」の残り香が頬を掠める。
その時僕の両手には、「僕」以外の何かがともにある。
悪くないと思います。
文章を書くといつもこうです。着地点が見当たらない。
そこはもう編集担当に丸投げしちゃえという気持ちで、好き勝手書いています。
どうぞよしなに。
魚交