塗り替えられたその下に
特集テーマ「ごほうび」関連企画!
ライターにとっての「ごほうび」それは……
ズバリ、自分が書いた記事にリアクションをもらうこと!
そこで、ライターからライターへ、記事の感想や、記事を踏まえて執筆した書き下ろし記事をリレーしてもらう企画をお届けします。
今回のリアクションは【こんぶ】→【カジノポン】へ!
塗り替えられた層の下の下。
あれは確かにあったのか?
もうすっかり消えてしまったのか?
まだ奥の方に残っているのか?
『塗り替えていくこと』/ カジノポン
"ある"経験をして、それから日が経って、他の酸いも甘いも経て
そうしているうちに、"ある"経験のことをよく思い出せなくなる。
あんなにも鮮明だったのに。
音も、匂いも、感触も、全部ハッキリと、この身を介して体感したはずなのに。
すっかり遠のいてしまった記憶を消えてしまったのかと疑い、
あれは幻だったのかとも思うこともある。
近頃はSNSの影響もあり、自分とは別の視点が介入しやすく、
それによって自分の新鮮な記憶が、即座にベタベタと塗り固められてしまいがち。
本当に自分で見た、聞いた、感じたことがなんなのか、
そんなに下の層にあるわけではない記憶も、よく見えなくなることも多い。
生乾きの状態で重ね塗りしてるからか、綺麗に層にもならずに混ざり合って、
乾いた時には別の色が出来上がっている気もする。
これは日々の反省。
自分の記憶、ちゃんと大事にしていたいな。
そういえば、おばあちゃんは私に会うたびに成長を感じるらしく
「背高くなったねぇ」なんて未だに言ってくるけれど、
彼女の中にある私についての記憶は、幼少期のものも鮮明なんだろうか。
あまり会いに行けてないから鮮明なままなのか、ずっと大切にしてくれているのか。
はたまた、記憶を塗り替えることなく、ひとつひとつ横並びに置いておく術でもあるのか。
真相は不明だけれど、記憶の下の下の層のことも覚えてくれているのが嬉しい。
私はどうだろう。
おばあちゃんの背丈を越し、見おろすようになったことにもすっかり慣れてしまったのかな。
小さい頃の背丈から、おばあちゃんを見上げている様子を頭の中で描くことはできるけれど、
これは鮮明な記憶なのか、記憶の下の方から引っ張ってきた記憶なのか、はたまた想像なのか。
久々におばあちゃんに会いにいく。
塗り替えられた下の方の記憶と、また新しく塗る記憶と。
どちらも鮮明に置いておける方法があったらいいのに。
kikusukuライターの「こんぶ」です。アイドルとドラマとお酒を飲むことが好き。ラジオもよく聞く。好きが多すぎて、毎日忙しなく生きてます。