転勤族だった僕と卒業

卒業をテーマに文章を書こうとしても思ったように筆が進まない。

それはなぜだろう。

この前卒業について友達と話していると、

友達の1人が『卒業』の意味を調べたという。

聞けば卒業とは『その学校の全課程を学び終えること』を意味するらしい。

つまり、卒業とはいわゆる学校の卒業式、幼稚園の卒園式といった

教育課程の区切りを表す式典を示すのが本来の意味らしい。

その時、はっきりと僕がどうして

卒業というテーマにピンと来ないかがわかった。

それは端的に言えば卒業式に思入れがないから。

つまり、僕が転勤族だったからだ。

幼い頃、記憶している限り3回環境を入れ替えた僕は

その度に馴染まない環境で卒園式、卒業式を迎えた。

幼稚園にはおそらく1年もいなかったと思う。

それなのに僕は卒園させられてしまった。

みんなで歌った曲のサビは鮮明に覚えている。

『さよならぼくたちのようちえん

ぼくたちのあそんだにわ

さくらのはなびらふるころは

ランドセルのいちねんせい』

庭でそこまで遊んでなかったし、

どちらかと言えば絵を描いたり、ジブリの大判の絵本を読んだりしていた気がする。


次に引っ越した時期は小学2年生。

大分県に引っ越して4年の1学期で転校した。

みんなは自分に当てたメッセージを書いてくれて

それをもらって嬉しかった僕は、

逆になんで僕だけ卒業みたいな感じになっているのかわからなかった。

この学校では卒業式の時はどんな歌を歌うのか知らないまま、僕は東京に引っ越した。


そして4年の2学期、僕は東京の小学校に転入した。

季節は2学期の終わりだった気がする。

みんなは終業式のために、体育館に集まって

踊りや歌の練習をしていた。聞けば本番は明日明後日というレベル。

当然僕は行事の全容を知る術も時間もなく、本番を迎えた。

当日、みんなは体育館のステージに登って歌ったり、踊ったりしていた。

でも僕はそのステージのカーテンの近くで体育座りをしてその様子を眺めていた。

別に僕は参加していないんだから、

ステージに登らなくてもいいんじゃないかなと思いながら。

終業式が終わって、みんな冬休みに入るわけだけど、

僕からしたら何も終わっていないし、むしろ始まったばかりだった。

こんなふうに卒業したくないタイミングで卒業したり、

卒業するには日が浅すぎるタイミングで卒業したり

絶妙に変なタイミングで終業式や卒園式を経験してきた僕は、

あまり卒業に思入れがないタチになってしまった。

(ちなみに中学校の卒業式は3年間通い詰めた学校ということもあって

それなりに感慨があったけど、実は中高一貫の学校にいたので

今度は卒業した感が薄く、

僕は例によって『卒業思入れナッシング期間』を更新してしまった)


転校などによって、僕は卒業という言葉にあまり思入れのない人生を送ってきた。

けれども、別にそれを悲観的に捉えているわけではない。

そもそも、このテーマについて考えるまで

僕の人生は卒業に馴染みがないんだということに気が付いてもいなかったわけだし。

逆にそういう人生で良かったなと思える一番の理由は、

卒業に対しての敷居が低くなったことだ。

卒業って考えてみれば結構勝手なやつだ。

卒業式、卒園式、終業式、修了式、

全て一律に日程が定められていて、

そこを超えさえすれば、

全員卒業してしまうし、

卒園してしまうし、

終業してしまうし、

修了してしまう。

たとえ、その環境にやってきたばかりの新参者の人間でも

卒業式1週間前なら、1週間後には立派に卒業してしまう。

『卒業』は僕らを待ってくれないのだ。

卒業って結構勝手なやつだ。

卒業を考えだした人は、僕らの卒業を考えているというより、

卒業っていう言葉や形式を僕らに与えたいだけな気がする。

それは例えば、

会社の上司がやめていく部下の送別会を開こうと企画するが、

結局は上司がお酒を飲んでいい気分になりながら、昔話をするあの感覚に似てる。

でも卒業くんも大変だと思う。

毎年毎シーズン、何十万人の人を卒業した状態にさせないといけない。

だから楽をしたくなるのも当然だ。

その中の一部が転校したやら、休学したやらといったとしても、

構っている暇なんてないと思う。

彼ができる精一杯がこれなんだと考えると、

なんだか卒業くんが大企業で働いている新入社員のように微笑ましく思えてくる。

『僕は何十万人もの人を動かさないといけない!だから形式が、法則が、ルールが

ないと不可能だ!』

そうやって、パソコンの前に突っ伏している姿が想像できる。

そう思うと卒業って別にいい意味で僕らと同じで

大したことはない気がしてくる。

全然普通にミスをする僕ら人間とさほど変わらない気がしてくる。

だから、別に卒業を重く捉えなくていいんだと思えるようになった。

僕は何かから卒業することに時間も、タイミングも本当は関係ないと思うようになった。

それは新入社員の卒業くんが決めた、彼にとって都合のいいルールでしかないから。

もっと言うと卒業くんが担当する仕事の範疇は

僕らが学生の間だけであって、

その後の卒業に関する仕事は僕ら一人一人に委託される。

で、今の所マニュアルとかはない。

その人それぞれに仕事を展開していく。

だからますます卒業と僕らの関係は自由になる。

本当の卒業は自分が卒業したいなと思った瞬間に訪れる。

逆にその瞬間が訪れていないならまだ卒業してなくていいと思う。

もっと軽く、自由に、卒業を捉えてもいいんじゃないかなと思う。

マモル

マモルです。作品を見ること、作ることが大好きです。ちょっと気を抜くとすぐに、折り畳み傘に髪の毛がひっこ抜かれてしまいます。気を引き締めて毎日生きてます。生き急ぎ過ぎないように。

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