1から0へ、0から1へ。

最近0と1という数字のことをよく考えてしまう。

なぜなら、今後のキャリアを考える中、

この2つの数字が否が応でも関わってきてしまうからだ。


自分は、映像制作会社にいる。

僕はそこで、映像制作の制作進行を担当している。

撮影日のご飯を100人分頼んだり、オーディションの準備をしたり、

車両を手配したり、エキストラのホテルを予約したりしている。

でも正直言って僕はこの仕事が向いていないのではないかと思っている。

なぜならこの仕事では記憶力が物を言うからだ。

あの人は何時に来て、どこに行って、どのタイミングで呼び戻すのか。

呼び戻すためにはマネージャーである誰さんに電話をかけて、

どこの場所だと指示を出すのか。

この人だけに集中できればいいのだが、現実はそこまで甘くはない。

その人に気を取られていると、別の人がやってきてそこの対応をしなければならない。

さらにそこの対応をしていると撮影現場に必要な小道具の出番のタイミングになっており、

大体の場合は全力で走って持っていくことになる。

いつどんなことが起こるかを、あらかじめ頭の中に叩き込んでおく必要があるのだ。

そして僕はそれが苦手だ。

人の名前は何度も会わなければ覚えられない。

なのに、撮影当日しか会わないスタッフの人を覚えなければならない。

時間の使い方も下手くそだ。

今ご飯を食べるチャンスだと思った数分後には、

大抵僕はその場を離れてまた全力で走っている。

誰から、どんなことを頼まれるか予想もできず、

常にビクビクしている。

ここまで書いて改めて思うが、

僕はこの仕事に本当に向いていない。 

向いていないことはここ半年でようやくわかってきたのだが、問題はそこから先だ。

なぜ向いていないのか。そしてこの先どうすればいいか。それがわからないのだ。

仕事をやめて新しいところに行けばいいのだろうか。

しかし、僕がさっき言っていた、向いていないと思える要素はどんな仕事にもついて回る気がする。

どの仕事でも覚えなきゃいけないことはあるし、スケジューリングは必要だと思う。

今の仕事がなぜ向いていないのかをもっとはっきりさせないと、

他の場所に行っても二の舞になる。

もはや自分は社会人に向いていないのだろうか。

だとしたらお手上げだ。それならば、多少向いていなくても、

人となりの良い人がたくさんいるここで働いていた方がいいのかもしれない。

そう考えながら忙殺されて、なんとなくこの会社で生きていくかと思いつつあった時、

後輩とご飯を食べる機会があった。

後輩の話を聞いていると自分より遥かに大変な企画に参加しており、

自分ならもうキャパオーバーしてしまうだろうと思った。

しかし、後輩は笑顔で話していた。

「なんでそんな大変なのに、元気でいられるんですか!」

切実だと思われたくないし、必死感を悟られたくなかったから、

半ば突っ込みのようにその質問を投げかけた。

その人は言った。

「こういう1を100にしていくのが好きなんです。」

その瞬間モヤモヤしていた視界が開けた。

僕ら制作進行はすでにある1の企画を完成という100に持っていく人たちなのだ。

1の企画の時にCGが必要だとわかれば、CGチームを手配する。

50人のエキストラが必要であればそれらを手配する。

すべては100という完成に持っていくためである。

どうやらこの仕事は1を100にする仕事だ。

そして僕は1を100にしていくのに興味がない。

それよりも僕は1が1になる前の状態。

つまり0の状態に心惹かれる。

まだこの世に出ていない視点、思考、

そういったものを探し出して1にする作業の方に興味があることに気づいたのだ。

そこで7月、

僕は社内コンペに自分の企画を応募した。

普通は社内のディレクターなどが挑戦するコンペだったが、お構いなしに応募した。

その結果、社内選考を通過し、10月無事に作品を作ることができた。

その時自分は初めて社会人として0から1を生み出す側に回った。

結果として、制作進行よりも遥かに自分に向いていると感じた。

なぜなら、監督として記憶するべきことは、作品の方向性、どのカットに何秒使うか、どのカットにキャストは何人必要かというように自分の作品のことについてのみだったからである。

だからこそ、僕は撮影当日も自分が何を聞かれるかは全てわかっていたし、

初めて監督をしたにもかかわらず、全く緊張することがなかったのだ。

その瞬間色々な謎が解けた。

どうして映画のシーンや、大好きな音楽の歌詞はすぐに出てくるのに、

人物や時間や部屋番号は覚えられないのか。

それは自分の興味がなかったからなのである。

どうして興味がなかったのか。

他の職業でも興味が持てないのではないか。

それは1を100にしていく仕事だったからであり、

0を1にする仕事なら自分にもきっと向いているだろう。

今の会社で0を1にする側になるのは相当厳しい。

狭き門だし、どう頑張ってもあと2年はかかってしまう。

しかも、この2年はどうやら1を100にする仕事が忙しすぎて、

どうしてもそれと並行で0を1にする仕事に転向しようとするとそうなってしまう、という消極的な理由だった。

この2年は待てないなとその時悟った。

この会社である程度人間関係を構築したのだから、それを活かしたほうがいいのではないか。

しかし2年である。

外に出ても相当狭き門だし、

僕はそのせいで就活で大事故を起こしている。

しかし2年である。ここにいる2年と外に出る2年。

それなら0を1にする側になるために外で必死に2年を使った方がいいのではないか。

それでも映像のディレクターになれないとしたら?

僕は路頭に迷うだろうか?

それは問題ない。なぜなら0を1にする仕事は映像に限らないからだ。

自社の製品を広めるための施策を考える、広告プロモーション部門。

他社よりも自社のアプリを使ってもらえるようにイベントを企画するイベント企画部門。

ちょっと調べただけで、映像という枠を取り除けば、

色々0から1にする仕事はありそうな気がした。

だから今、僕は制作進行をしながらも、新しい仕事を探し始めている。

仕事ができる人は本もちゃんと読んでいるみたいな記事を見たから、本も読んでいる。

一度『13歳でもわかる金融学』という本がわからずに挫折してしまい、

本から離れた時期もあった。

でも『君たちはどう生きるか』という本が面白くて、

また本を読み始めている。

絵も練習し始めた。

自分は昔から絵にコンプレックスがあった。

しかし映像ディレクターは、必ず映像になる前に自分の中の世界を絵で表現する必要がある。

そしてそれは上手く描けるに越したことはない。

だから、今は毎日1時間ほど人物のポーズを描いている。

僕が社会人になって1年と半年ほどが経った。

しかし、僕はそう遠くない未来、この1年半をリセットして0にしようとしている。

この前28歳で、年次が僕より下の人に出会った。

僕より4つも上なのに、

僕に始終敬語を使うみたいな状況に出くわした。

自分はそれに近しいことを行おうとしているのだ。

人との関係値、その会社でのキャリア。全てを0にしようとしている。

それはとても怖いことだ。

今までやってきたことが無駄になってしまう。

こんな就職氷河期の中、自分の都合でやめて新しい職を見つけ出せるわけがない。

見つかる確証はどこにもない。なぜなら、0にしてしまうからだ。

それでも僕は0になりたい。

0は可能性だ。一見、保証のない未来のようにネガティブに見えるが

実際はワクワクした世界のはずだ。何が起きるかわらかない、ビックリするような世界が広がっている。

先の見えない暗闇ではなく、何が入っているかわからない宝箱のような世界。

僕は可能性がすでに1通りになってしまった1に興味がなかった。

だからこそ0から1を生み出す世界に行きたいと思っている。

なのに、自分の話となると怖がってしまう。

1から0へ、

それは1つの会社の中で生きている自分を追い出すこと。

1から0へ、

それは人間関係、会社との関係、仕事の経験値、あらゆる蓄積を0にリセットすること。

0から1へ。

それは可能性から、自分にしか見つけられなかったアイデアを見つけ出すこと。

どちらも0という可能性に満ちた世界に身を置くことを意味する。

本当はどちらもポジティブな意味のはずだ。

だから僕は、近々1を0にしようと思う。

0から1を生み出すために。

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深夜。選考には落ちた。
マモル

マモルです。作品を見ること、作ることが大好きです。ちょっと気を抜くとすぐに、折り畳み傘に髪の毛がひっこ抜かれてしまいます。気を引き締めて毎日生きてます。生き急ぎ過ぎないように。

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