乗りこなせ
やらなきゃいけないことはあるけれど、すべてが面倒で手につかない。
思い切って遊びに行こうにも、今自分が何を欲してるのかわからない。
うわ、そんな自分に嫌気も差してきて、どんどん落ち込んできた......
助けて~~~~~~~!!!
そんな日が1、2か月に1度くらいはある。
私の中で、自分は気分転換が下手すぎ説が最近はかなり濃厚になってきた。
私が1人でお酒を飲みに行くのは大概そんな時で
PCのキーボードで決まったいくつかのキーを同時に押して強制再起動をするように、
財布とスマホとイヤホン、気が向けば本だけを持って、何も考えず家を出る。
そして
「ここ気になるけど、機会がないとなかなか入れないよな~」
と前を通る度に思っていたお店があれば入ってみる。
社会人になってから身に着けた新しい気分転換だ。
ちなみにここまで澄ました顔で書いているが、
お店に入る前は普通に緊張する。小心者め。
正直成人するまでは、
何かとつけて酒だ酒だと言う人のことをかなり軽蔑していた節があった。
家族の付き合いで酔った大人と接する機会が多かった分、
手元が滑った人のドリンクを被ったり、
お酒にかこつけて狂暴化する一部の人にからかわれたりしたことがあるのが大きい。
しかもそういう人に限って、
翌朝になると子どもの私よりずっと理性的になって謝罪してくるので、
こっちは食事の時に好きなだけジュースも飲めずに泣かされるのに
大人はずるいなぁと思った。
今でも子どものいる場では酔うまで飲まないようにしている。
というかこういうことを思い出すので、気分的にも飲めない。
子どもながらに、
力のある人が弱い立場の人に謝るということは、
時として「許せ」というメッセージになることを
直感的に感じていたのかもしれない。
だから自分は1人でお酒を楽しめる人になろうと思っている。
最初は「絶対に周りに危害を加えない酔っ払いになろう」と思っていたけれど、
そういう完璧主義マインドでいると
いざ誰かに迷惑をかけた時に開き直ってしまったり、
とりあえず謝って場を切り抜けたり出来ればいいという思考に
自分が流れていくのを感じて、途中でやめた。
お酒を飲めば思考力も共感力も落ちて
ほぼ確実にいつか誰かに迷惑をかけてしまうし、
それを自覚した上で責任は毎度しっかり負う必要がある。
だから時々お酒の楽しみを1人でも発散できるようにしておく方が、
誰かと飲む時にもはっちゃけ過ぎず、新しいお店も開拓できる。
私の場合は、自分にも周りにも一番ちょうどいい選択だと思っている。
1人で飲みに行けば
日本酒スタートで3杯目でビールを頼んでも常識を疑われないし、
店員さんが結構話しかけてくれるタイプのお店だった時も
一緒に来た人との会話を遮られることなく(そもそもいないし)、たくさんお喋りが出来る。
ただおつまみが大体シェア前提の量なこと、
どうしても割高になるのでそう頻繁には出来ないこと、
本物の「おいしい」に出会った時にそれを伝えられる人がいないことなどが重なると、
「やっぱあの人誘えばよかったかな......」
と思う瞬間も正直ある。
けれど、右も左もわからなくなって自分が液体のようになってしまうよりは、
少し物足りないくらいがお酒とのいい距離感なのかもしれない。
そもそも辛い時にお酒に頼るのは良くないという忠告もすごく正しいと思うし、
同時に、正しさだけではどうしてもやっていけない時だってあるとも思う。
特にどうしようもない自分との付き合いに関しては。
だから目的はあくまで酔うことではなく、自分の味覚中枢を喜ばせること。
それだけ考えて、一旦堂々巡りをシャットダウンさせる。
そして朝起きて「もうちょい水飲んどけばよかったかな.....」などと思いながら、
次に大好きな人たちと「おいしい」を分かち合える時まで少しセーブする。
今のベストペースはこんな感じだけれど、
10年後の自分はどんな距離感でお酒と付き合っているのだろうか。
浴びず溺れず、これからも夜を乗りこなしていけるといいのだが......。
recommends‼
本当はこんな話あんまりしないんだけど、
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「とにかく寝ることだよ」
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「とにかく寝ることだ。寝て起きたら、いつの間にか過ぎ去っているものさ」
たぶん彼の……
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注意:これから「推し」という言葉をdisってしまうので、中には不快な思いをされる方がいるかもしれません。推し文化の中にいない外部の人間が「推し」について語っているので、偏見や誤解を含んでいる可能性が多分にあります。僕の言葉には確かにネガティブな感情、disが含まれていますが、訴えたいことはむしろポジティブで前向きなものです。決して推し文化をただ中傷することを意図しているのではないことをご理解下さい。