ジャニーズWEST・神山智洋が好演『幽霊はここにいる』レビュー :【砂】から読み解く“幽霊”

PARCO STAGE公式サイトより

ザザザーッ。上から“何か”が降り注いでいる。そこには、傘を差した人々。ああ、雨音か。いや、違う。……砂だ。砂が、降り注いでいるのだ。

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2022年12月8日からPARCO劇場にて上演の舞台『幽霊はここにいる』は、主演にジャニーズWESTの神山智洋、共演に八嶋智人らを迎え、安部公房の名作戯曲に挑む意欲作だ。以下、本作のレビューをお届けする。

まず特筆すべきは、主演を務めた神山だろう。
コンスタントに舞台作品への出演が続く神山は、そこに”見えない”幽霊を劇場内でただ一人見続けるという難役を軽やかに演じてみせる。観客には幽霊が見えなくとも、確かに”いる”と感じさせられる説得力は凄まじいものがあった。その上、素直で無欲、押しに弱いという、ある種”人間らしくない”とも言えるほど自我の薄い男を、違和感なく成立させているのだから末恐ろしい。言わずと知れた名優・八嶋智人の圧倒的な芝居のパワーに負けず劣らず、独自の存在感を醸し出していた。

また、目を見張るのは稲葉賀恵の演出だ。砂や巨大なカーテンを使った大胆な演出で、流れるようにテンポよく場面を転換していく。元の戯曲は三幕構成であるが、今回の上演では二幕へと再編成。戯曲が持つ複雑さと劇としての観やすさとのバランスが絶妙で、3時間の上演時間があっという間に過ぎていく。時に観客も巻き込むようなパートを入れる等、緩急の付け方も絶妙なのである。いくつもの種類や色が使い分けられていた照明や、“幽霊服”の見せ方等、全編を通し“見えなくてもここにいる存在”を感じさせるような演出がなされているのも印象的だった。

その中でも、今回取り上げたいのが“砂”だ。

安部公房、砂と言えば『砂の女』という安部公房の小説を思い浮かべる人も少なくないだろう。『砂の女』は、まるで蟻地獄のような砂穴に閉じ込められてしまった男が、何度か脱出を試みるも、やがて砂穴の中の生活や社会に順応していく様子が描かれた作品である。

『砂の女』に出てくる男のように、この舞台に出てくる登場人物たちもまた、一度入ってしまった砂穴から抜け出せなくなってしまった人たちなのかもしれない。

例えば、市長や新聞社の重役たち。権力や富を一度手にしてしまえば、もう手放すことなど考えられなくなってしまう。人殺しも、幽霊の存在を利用することも、嘘で騙し騙されることも、何もかも厭わない。
例えば、故人の写真を買い戻した人たち。一度買戻し料を払ってしまえば、盗まれては支払って、という無限ループに陥ることだろう。
例えば、”目撃者”という強いカードを手にした大庭の妻。例えば、見知らぬ死者の写真を盗むようになったあの人。例えば、一度自分の仕掛けたビジネスが大成功した経験のある人。例えば、自分が”誰”であるかを見失うことでしか生き延びられなかった男……。

その砂穴は、軽い気持ちで足を踏み入れると、もう簡単には後戻りできないのだ。

mostafa meraji from Pixabay

ところで、砂とは一体何だろうか。さらさらとしていて、手で掴んだと思ってもすぐ零れ落ちてしまう。”掴みどころのない”とは正にこのことだろうか。さらさらと流れ落ちる砂を見つめていると、それが粒であることに気がつく。小さな小さな粒が集まって、砂の流れを作っている。

砂とは、砂粒の集合体のことだろうか?いや、砂=砂粒そのもの?
砂の実体は、一体どこにあると言うのだろう。確かに存在しているが、その実体は宙に浮いているようだ。

この”不確かさ”はまるで、人間の社会のようではないか。社会は実体を持たない“砂”で、そこに生きる人間一人ひとりはさながら“砂粒”だ。

そう、私たちの生きる社会は、目に見える姿形を持っているわけではない。実体のないもの、それはまさしく”幽霊”だ。目には見えない社会の中で、私たちは今日も生きている。

「ああ、もう嫌んなっちゃった!ちゃんと役にたつものが、ちっとも売れないで、ありもしないものがどんどん売れるだなんて、どうかしているわ。」(ミサコ)

私たち人間は、ごく簡単に、実体を持たず見えないものに踊らされてしまう。いやむしろ、見えないからこそ、その存在は何倍にも膨らんで大きなものとなるのかもしれない。

しかし、見えないものと見えるものは表裏一体だ。その“幽霊”に、生きている人間は自分の不安や願いを見出す。時に故人への後ろめたさを、時に自分の野望を。それはまるで自分の心を写す鏡のように。

「ほら、誰でも鏡に自分の顔をうつしてみたいと思うだろう」(深川)

劇中そう語る主人公は、“ワケ”あって鏡を直視することができない。しかし、鏡を見ることができなかったのは本当に彼だけだろうか?鏡を見る時、人は自分と対面することとなる。彼には鏡を直視できない”理由”があったが、彼以外の登場人物たちの内、一体どれだけが自分を直視することができたのだろう。

当たり前の事だが、鏡に映る自分も、目の前の人も、見ようとしなければ見ることができない。直視しないのならば、“幽霊”と何ら変わりはない存在と言えるかもしれない。

『幽霊はここにいる』からこそ、私たち生きている人間は選ばなくてはならない。見えないものと見えるものとが存在しうるこの世界で、何を見ようとするのか。何を大切にするのか。

生きている人間だからこそ、選ぶことができるはずだ。

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劇中、実体のない幽霊ばかりを見続けた人間たちの行く末を、あなたはどう受け止めただろうか。滑稽に思えた人もいれば、身につまされるような思いになった人もいるかもしれないし、不快感を覚えた人もいるだろう。
しかしまた、主人公は見えないはずの幽霊を見続けることで苦しい日々を生き抜くことができたのも確かである。幽霊は、きっと私たちの敵にも味方にも成り得るのだ。

最後に、ラストシーンについて触れておきたい。解釈は観る人の数だけ生まれるものだが、筆者には劇中盤のこの台詞が思い出された。

「いやあ、ずうっと、沖のほうに出ると、幽霊たちが群がって、渦になっているところが、あるんだそうです。幽霊の溜まり場で、みんながワアワア戦争の真似をしているんだって。」(深川)

見えない幽霊を見続けた先には、何が待っているのだろうか。実体を持たない社会が、絶えず戦争を続けるのは一体何故だろう。

あなたは、何を見て生きていますか?何を選んで生きていきますか?

“幽霊”は、あなたのすぐそばにも、あなた自身の中にも潜んでいるかもしれない。 <了>


引用:『幽霊はここにいる』・「安部公房全作品9」株式会社新潮社。

ひなた

kikusuku編集長のひなたです。演劇とテレビドラマと甘いものと寝ることが好き。立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻・博士前期課程修了。

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