田中圭主演舞台『夏の砂の上』観劇レビュー:私たち観客を”夏の長崎”へと誘う力とは
劇作家・演出家の松田正隆さんが1999年に読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞した『夏の砂の上』が、2022年11月、栗山民也さん演出で上演。出演に田中圭さん、西田尚美さん、山田杏奈さんらを迎えた本作は、先日世田谷パブリックシアターで無事東京公演千秋楽を終えました。11月26日より、兵庫・宮崎・愛知・長野と各地を回ります。
kikusukuでは、この上演を記念して松田正隆さんへの特別インタビューを行いました。
今回の記事では、本作の観劇レビューをお届けします。
kikusuku編集長のひなたです。演劇とテレビドラマと甘いものと寝ることが好き。立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻・博士前期課程修了。
視界が揺れる。汗がにじんで滴り落ちてくる。なんでこの坂はこげん急なんじゃろうか。一歩一歩、足の裏から坂の感触が嫌と言うほど伝わってくる。――ああ、喉が渇いた。
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冒頭、必死に汗を拭い、扇風機にグッと体を近づけ、麦茶を飲み干す背中の丸まった男。強烈な蝉時雨を聞きながら彼の姿を眺めていると、客席に座る私たちはいつの間にか「夏の長崎」へと足を踏み入れ身体を浸している。
そこはついさっきまで、2022年11月の東京、朝晩の冷え込みと昼間のあたたかさとのギャップが否応なしに襲い掛かってくる、そんな場所だったはずなのに。
そう、演劇の面白さはここにあるのかもしれない。
「ここ」ではない場所が、「ここ」に立ち現われてくる。
言葉にすると、なんだか魔法みたいだ。ここは東京、世田谷の劇場。でも、ここは長崎、坂の上の家。
その舞台上に「家」はない。
あるのは、畳、ちゃぶ台、扇風機、柱、階段……家の「欠片」たちだけ。
しかし客席に座る私たちは、そこに「家」を見る。縁側を見る。壁を見る。天井を見る。二階を見る。実家の間取りを思い浮かべた人も、祖父母の家を思い出した人もいるかもしれない。あるいはいつか観たテレビドラマの、映画のワンシーンかもしれない。
舞台上に私が見ている「小浦家」の姿と、隣の客席に座る人の見ている「小浦家」の姿は、きっと違う形をしている。観る人の数だけ「家」が生まれる。いや、私にとっての「小浦家」というものも、刻一刻と変わっていく。「家」は無数に生まれては消え、形を変えていくのだ。
家という「場所」は常に揺らぎ続けている。場所を満たす空気が常に移ろうものだから。その空気をつくる大きな要素が「俳優」である。
田中圭は、削ぎ落してこそ輝く役者なのかもしれない。
田中演じる小浦治は、主人公でありながら劇の流れに対し主導権を握ることが殆どない。つまりは「受け」の存在とでも言えるだろうか。彼は「うん」「え?」「ああ……」という言葉を一体何度発するのだろう。
彼の頭の中と、言葉になって外へと出てくるものとの間には、ある程度の距離が開いているような気がする。そんな“行間”が、田中の芝居には確かに生まれている。彼の中には、一体どれほどの「言葉にならない思い」が積み重なってきたのだろう。どんな思いで船を造り、無職になり、妻が出て行き、子どもは――。
最初はただ言葉に“しなかった”だけかもしれない。でも、言葉に“できない”瞬間が訪れて、言葉にしようとすらしなくなって、しかし「思い」だけは蓄積していく。
しまいには、それが本当に自分の気持ちなのか分からなくなってくる。自分の見て来た全て、体験してきた全て、ひたすら船を造っていた日々、妻の恵子と、息子の明雄と過ごした時間は、本当に「在った」のか?記憶も、おぼろげになっているのかもしれない。
本作の戯曲を執筆した松田正隆さんの言葉を借りるならば(※1)、戯曲が<線>を紡いでいくことで生まれて来た<面>を「空間」として立ち上げるのが俳優の役割だと言える。(※1……松田正隆さんインタビュー#3「小説を書いてみようとしても書けなかった」より)
戯曲のページの中、溢れんばかりに詰まっている“言葉にできないもの”たち、その余白を、田中はその身体に宿し、小浦治としてそこに存在していた。
また、特筆すべきは山田杏奈の存在感だろう。初舞台とは思えない堂々とした芝居は、優子という役の抱える<衝動>のようなものとリンクし、魅惑的で生々しい美しさを放っていた。接する相手によって立ち振る舞いが大きく変わる優子の姿は、早く大人にならざるを得なかった彼女の憂いと、大人になることを望みながらも、どこかで拒む少女の揺れそのものだったのではないか。
何もかもを失くした中年の叔父と、何一つ手に持ち続けておくことの叶わない姪。二人をつないでいたのは「諦め」の二文字だったのかもしれない。
だがしかし「諦め」とは、信じたいと願っているからこそ生まれるものだと思う。
西田尚美をはじめとする他の俳優たちも、出番の長さに関わらず確実にその「家」へと爪痕を残していく。それぞれの俳優ごとに強烈な瞬間はあったが、劇の終盤、西田演じる恵子のやけに晴れやかな表情がやたらと頭に残っている。
印象的だったのは、立山役の三村和敬だ。とてもナチュラルな存在感を醸しながらも、笑いの間など、技術が必要な場面もさらっとこなしてみせる。「演じている」ことを忘れさせてくれるような好演だった。
つくづく思う。演劇とは本当に不可思議なものだ。そこに「家」はないのに、その「家」で時間は流れていく。目の前にいるのは田中圭さんという人間なのに、そこにいるのは小浦治という男性だ。私は長崎の坂の上にある家へ行ったことはないのに、その“渇き”を感じることができる。家の水道が長いこと断水してしまったことも、彼のように指を“怪我”したこともないけれど、喉がカラカラになって、指に疼きを感じる。そんな状態をイメージすることができる。演劇とは本当に不可思議で、だからこそ魅力的だ。
本音を零すと、同じ世田谷パブリックシアターでもコンパクトなサイズ感であるシアタートラムで観てみたかった作品だったが、広い劇場から、本作がより多くの人の元へと届いたということを、演劇好きの端くれとして喜びたい。
長崎の町、そして小浦家と本作において「場所」が果たす大きな役割。それは劇場の空間や観客の存在にも影響を受けて変化するものであろう。全国ツアー公演先の劇場で、また新たな「場所」が生まれ、それを体験する観客が生まれていくことを楽しみにしたい。
夏の砂、その乾いた粒たちは、下り坂を滑るようにさらさらとこぼれ落ちていくのだろうか。それとも、夏の湿度を含んで坂にへばりついて留まるのか。
長崎という場所に思いを馳せながら、この砂の上でもう少し考え続けてみようと思う。<了>
(写真……世田谷パブリックシアター『夏の砂の上』公式HP・Twitterより引用。引用先詳細は下記公演情報に記載。撮影:細野晋司)
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〈公演情報〉
『夏の砂の上』
【作】松田正隆
【演出】栗山民也
【出演】田中圭 西田尚美 山田杏奈
尾上寛之 松岡依都美 粕谷吉洋 深谷美歩 三村和敬
【日程】
東京公演は2022年11月3日(木・祝) ~ 11月20日(日)、世田谷パブリックシアターにて上演。
その他、11~12月にかけ兵庫・宮崎・愛知・長野をツアー予定。
チケットの詳細は公式HP・SNSをご確認ください。
【公式HP】 https://setagaya-pt.jp/performances/2202211natsunosunanoue.html
【公式Twitter/Instagram】 @natsunosunanoue
☆戯曲が収録された文庫本も発売中
『松田正隆Ⅰ 夏の砂の上/坂の上の家/蝶のやうな私の郷愁』
早川書房/【価格】1,800+税
日本現代演劇の旗手、松田正隆の代表作3作を初文庫化。日常の裂け目や静かな台詞の行間から、心の渇き、生と死、都市の記憶が滲みだす。長崎を舞台にした、作家の初期代表作を収録。(早川書房HPより)