私にとってのkikusuku

kikusukuの秋の特集テーマが「表現」と聞いたとき、「うわぁあああああシンプル!!!むっず!!!」と全私が焦り散らかしました。
って言ったらどれだけ困惑したかが伝わる「表現」になっているんでしょうか?
いや、実際のところめちゃくちゃ困惑しましたし、今もしているんですよ……ええ。

kikusukuの他のメンバーと私の大きな違いは「映像身体学科を卒業していない」こと。
「きっと『表現』について大学時代にみっちり学んでいるんだろうなみんなは……」と思いながら「どうしたらいいかなぁ」と思っているわけです。

で、逆にkikusukuの他のメンバーと私の共通点を考えました。「日々『表現』することと向き合ってkikusukuに何かしらを投稿している」ことではないでしょうか。
kikusukuがあるからこそ他のメンバーと繋がれたわけで、そのkikusukuに欠かせないものが「表現」というものではないか……とは思いました。

じゃあ、「お前が言ってる『表現』って何?」って話になると思うんです。けど……これがとても難しい。とりあえず、辞書を引いてみました。

心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。(デジタル大辞泉)

「うん!なんか難しいね!!!」って思いました。そのためChatGPTに「小学生でもわかるようにして」と投げてみました。

「心の中の気持ちや考えを、外から見える形にすること」を言います。たとえば、うれしい気持ちを笑顔で表すとか、悲しい気持ちを泣くことで伝えるようなことです。ほかにも、言葉や絵、動きなどで自分の気持ちや考えをみんなにわかるようにすることがそれにあたります。

ほうほう……と言うことはやっぱり文章とか写真とか、kikusukuでの活動が「表現」に当たると言うことですね。なんなら日常的に行う「喜怒哀楽」の言動も「表現」に当てはまるわけですね。そしてその一部を切り取って載せている場がkikusukuな訳で……となると、私にとって「表現」の場はkikusukuなんです。kikusukuでの活動が「表現」することになっているんだと思います。
ということで、結局何が言いたいのかというと、私にとっての「表現」と言えば「kikusukuでの活動」が当てはまるということです。

今後もここkikusukuで「表現」をしていけたらいいなあと改めて思うお題(特集テーマ)でした。

捺稀

捺稀(なつき)と申します。親から授かりし本名です。
好奇心の赴くままに生きているその辺の会社員です。映像身体学部ではなく、INIAD(東洋大学情報連携学部)出身です。
kikusukuを通じて、好きなもの・こと・人の繋がりを広げていけたら良いなと思っています。よろしくお願いします!

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