私の構成要素①生い立ち
ライターをやってみようと思ってkikusukuに参加し、初回の記事で自己紹介を書いていて気付いたんです。自己紹介って難しくないですか?「私=〇〇」って言える人はすごいなって思います。好きなこと・もの・場所・人……と興味あることを並べ出したらキリがないし、どのくらい好きかとかどれだけ興味あるかとかって何を基準にアピールすれば良いのだろうか……自己紹介をする機会に遭遇する度に考えてしまいます。
で...…何が言いたいのかと言うと「良い機会だから私という人間を構成する要素を整理してみよう」と思ったんです。という訳で、これからしばらく「私の構成要素」と言うテーマで記事を書いていくことにします。
今回は「生い立ち」について以下の3点に分けて語っていこうと思います。
1. 生まれた頃〜未就学児期
2. 幼稚園時代
3. 小学校時代
今回も長くなりそうですね……すみませんが、お付き合いいただけますと幸いです!
1. 生まれた頃〜未就学児期
私は埼玉県所沢市に生まれました。1999年8月2日21時過ぎ、実家の近所の病院で産声を上げたそうです。
よく寝てよく食べる絵に描いたような健康優良児だったらしく、食べ物を並べておくと寝返りを打って近づいてくるくらい食い意地の張った赤ちゃんだった、という話は耳にタコができるほど聞かされました。
また子供時代に引っ越しを経験したことはなく、強いて言うなら敷地内の建物を移動したことがあるくらいでしょうか。新築の家に荷物を全て移動させ終えて、さぁ!今日からこの家が新しい我が家だ!!と家族は盛り上がっていたそうです。唯一状況を認識できていない当時3歳くらいの私が「お家に帰らないの?」と聞いたらしいのですが、それも耳にタコができるほど聞いた話です。
そして自分で言うのも何ですが、活発でいわゆるおてんば娘だったそうです。目を離すとすぐに高いところに登って行くので、周囲をヒヤヒヤさせたという話も耳にタコができるほど聞かされましたね。
2. 幼稚園時代
幼稚園は地元の山の中にあるところに通っていました。所沢市には森林保護区域として「トトロの森」と呼ばれる場所が多数あります。私が通っていた幼稚園の近くにも「トトロの森」はあり、幼稚園時代の私にとって「トトロ」はとても身近な存在のように思えていました。
自然に溢れた場所にある幼稚園だったので、幼少期は昆虫も何ならミミズも全く怖がることなく触っていた記憶があります。今は正直素手では触れません……ええ、ムリです。
また幼稚園のバトントワリングクラブに所属したり、外部の水泳スクールに通ったりもしていました。おかげで不特定多数の人と交流することに抵抗なく育ったと思います。特に水泳教室には市内だけでなく市外の子も通っていたため、自然と交友の範囲は広がりやすい環境で過ごせたと思います。ただ幼稚園の先生にはよく「相手の気持ちを考えて言おうね」と注意をされるくらい、思ったことをド直球で発言する子供でした。おかげでよく周囲を泣かせてしまっていた記憶も鮮明に残っていて……反省というか、今だに後悔していなくもないですね。
バトントワリングの発表会は航空記念公園の野外ステージや、ミューズ(所沢市の市民文化センター)のホールで行ったことをよく覚えています。その他でも式典だったり、記念の何かだったり、観劇やコンサートなどのイベントの度にミューズに足を運んだものです。また航空記念公園の思い出としては芝生の上にレジャーシートを敷き、お弁当を持ち寄ってお花見をしたり、アスレチック系の遊具で遊んだりしたことをよく覚えています。
3. 小学校時代
学区の外れに住んでいたため、片道1kmほどの道のりを毎日歩いて通っていました。放課後は帰り道が長めなのもあり、友人の家についつい寄ってしまったり、道端で遊んだりしているうちに日が暮れることもよくあったことを覚えています。「一度家へ帰り、ランドセルを置いてから遊びなさい」とよく叱られたものです。
小学校に上がってからは近所の英会話教室にも通い始め、また水泳スクールにも通い続けていました。英会話教室は同じ小学校の子が多かったですが、水泳スクールの方は他校や市外の子も居たため、相変わらず自然と交友の範囲を広げられる環境に居続けられたと思います。
英会話教室ではハロウィンの時期に近所のお宅を回ってトリックオアトリートをしたり、年一回各クラスで英語劇を練習して、クリスマスの時期に発表会をしたのをよく覚えています。
小学校の4年生からは体操教室にも通いました。逆上がりがなかなか出来ず、痺れを切らした母からの提案でした。鉄棒は苦手でしたが、跳び箱やマット運動は得意で、楽しんで通っていました。
5年生に上がる前に、中学受験することを決め、中学受験塾に通うべく、水泳を辞めることにしました。また体操教室も6年生に上がる前に辞めることにしました。ただし英会話は中学から英語が必修になることもあって、小学校卒業まで通い続けることにしました。
中学受験塾は別世界でした。自分よりも遥かに頭の良い子や、逆に自分よりも成績のふるわない子などがおり、生まれて初めて実力で勝負する競争の激しい場に踏み出した気分でした。算数と言うか計算がすごく苦手でしたが、国語・理科・社会は大好きで、公立の小学校に通っているだけでは知り得ない新たな知識を学ぶのが楽しかった記憶があります。覚えたことを元に、テストで高得点を取れた時の快感は今でも忘れがたいですね。
さて、今回は「私の構成要素①生い立ち」と題して、生まれた頃から小学校ぐらいまでの私に関することを整理してみました。
長々とすみません、ここまでお付き合いいただけた方、ありがとうございます。
良ければコメント等お寄せいただけると幸いです!(疑問や感想なんでも構いません。後の記事にてお返事できるかもしれません。)
以上、捺稀でした!また別の記事でお会いしましょう。