『くしゃみのふつうの大冒険』#08

くしゃみと井戸の元日



「あけましておめでとうございまーす!!!!」

くしゃみは、井戸の中に新年の挨拶をしました。

井戸の中に耳を傾けてみるといま放ったばかりの自分の声が反響して、底を目掛けて落ちていくのがわかります。

しばらくすると、とうとう自分の声が聞こえなくなりました。井戸の底に溜まった水にぶつかったのです。水面の震える音が聞こえてきます。

この音を聞くとくしゃみは、「ありがーとう!!!! またねー!!!!」と返事をしました。そして、「よしっ」とひとつ頷くと、自分の吐息で手を温めながら早々と家路につきました。


くしゃみは、フカチの森に引っ越してきてからというもの、毎年1月1日になるとここへ来て、井戸の底に向けて新年の挨拶をします。

井戸の中に誰が住んでいるわけでもありません。だからといって、この行動に何か特別な理由や意味があるわけでもありません。強いて言うのなら、「衝動」でしょうか。山の上に立つと、「やっほ〜」と声に出したくなるようなものですね。


ところが、ある年の1月1日。井戸は、埋まっていました。

くしゃみが井戸を覗き込むと、そこには枯れ葉が溜まっています。枯れ葉をどかすと、出てくるのは硬い土で、自分の指だけでは掘れそうにありません。寒さで冷たく固まっているので、指の関節が痛んでしまいそうです。

くしゃみは、ただその場に立ちすくんで、埋まってしまった井戸を見つめていました。スコップを取りに家へ戻ることもしません。

くしゃみには、わかっていたのです。きっと、土を掘れたとしても、あの水の声はもう帰ってこないということを。

くしゃみは、それでも、いつものように「あけましておめでとうございまーす!!!!」と井戸に向けて新年の挨拶をしました。けれど、「よしっ」とは頷けずに、遠回りをして家路につきました。



その日の夜、くしゃみは夢を見ました。

真っ暗闇の中に、あの井戸がいます。

井戸は、口に詰まった枯葉と土を咳き込むようにして吐き出しました。そして、掠れた声でくしゃみに言います。

「ありがーとう!!!! またねー!!!!」

この声を聞くとくしゃみは、大きく手を振りながら同じ言葉で返事をしました。そして、「よしっ」とひとつ頷くと、自分の吐息で手を温めながら早々と家路につきました。


目が覚めるとくしゃみは、この夢について何も覚えていませんでした。夢を見ていたことでさえ、曖昧なほどです。

ただ、なんとなくではありますが、「悪い夢」ではなかった感覚はありました。


いまでも井戸は、あの場所に残っています。

まだまだずっと先のお話ですが、くしゃみはおじいさんになってもなお、毎年1月1日になると井戸に会いに赴きました。いつものように新年の挨拶をするためです。 そして、やはり井戸の方も、忘れられる夢の中でこっそりとではありますが、くしゃみに挨拶を返すのでした。

くしゃみと井戸の1年は、これがなければ始まらないのです。


作・絵 池田大空



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