ボーイ・ミーツ・ガールに身を預けて

この記事を書いたのは・・・

船堂耀作

初めまして、フネドウと申します。
夏の時期は冬が好きになりますが、冬になると夏が好きになります。午前中から大きな公園で将棋を指すお爺ちゃんに憧れを抱きます。よろしくお願いします。

 幼稚園生の時に『マスク』と『デイ・アフター・トゥモロー』を観させられて私の映画人生は始まったと思う。小学生の頃は『20世紀少年』をレイトショーで友達とノリで観に行って忍者ハットリくんのお面がトラウマになった。中学時代に『フューリー』を観て初めて映画で泣いた記憶がある。高校生になり『イエスマン』の主人公は『マスク』のあいつだったのかと驚嘆し、楽しみ方の幅が広がった。大学1年で『8 1/2』と『穴(※1)』に衝撃を受けてそれから手あたり次第、という流れで数年経った。

 しかしここ2.3年で「芸術は我々の生活に必要不可欠ではない」とはっきりと印が付いた。まぁそうだろう、そんなことは言われる前から分かっている。丸の内の道路に飾られているいくつものオブジェにほとんどの人が関心を示さないように、きっと至る所にあるはずなのに必要ではないのだ。四角で区切られたザ・スクエア(※2)を「思いやりの聖域」と言ってしまえばアートであると胸を張る。そんな姿はまるでペテン師ではないか。そんな奴らが国の秩序を守るべく今も奮闘している人たちと同じく必要不可欠だと言おうだなんて、なんて礼儀知らずだ。ただ嗜んどいで損はないものでもある。でもそんな程度だろう。その為に人生を懸ける人たちがいて作る人たちがいることに私はこれでもかと惹き込まれてしまうのだ。

 メリエスがフィクションの中に大きな野望を詰め込んで月に発射してから今年で120年が経った。その間にグリフィスやエイゼンシュタインは驚くべき技法を生み出し、チャップリンは世界で一番愛された。ルノワールやロッセリーニ、フォードにヒッチコック、ゴダールに黒澤明……そうやって受け継がれていった映画を、私たちはいつでもどこでも享受することができるようになった。手の中で見る人もいれば、とてつもなく大きなスクリーンでキャプテン・マーヴェリックと共に大飛行大旋回!なんて人も沢山いるだろう。見上げるものから見下ろすものへ、以上から以下へと映画体験そのものが過渡期へ突入しているのが現在でしょうか。

 私が書く記事は全て「映画」についてのものになります。きっと作品を紹介するのが主になるでしょう。ゴダールが亡くなった翌日のヤフコメの数が100以下だった日本で、新参者が映画を書くことなんてもはや水の泡なのかもしれません。これは果たして意味のあることなのか。それでも映画を撮り続けている人がいて、それを観て好き勝手論者ぶる人がいること。そして私もその人と仲間になってしまうことに想いを馳せながら、続けられるだけ続けてみます。

 

  船堂 耀作(ふねどう ようさく)

編集部注
(※1)……1960年公開のフランス映画。
(※2)……映画「ザ・スクエア 思いやりの聖域」内に登場するアート作品。

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