サッシャ・ギトリ『夢を見ましょう』(1936) ―サッシャ・ギトリ特集に向けて―

3月11日から24日までシネマヴェーラ渋谷にて、サッシャ・ギトリ特集(「知られざるサッシャ・ギトリの世界へ」)が開催される。配信では滅多にお目に掛かれないため、14作品も渋谷にやってくる二週間は間違いなくとても貴重だ。とはいえ、全て観るのは根気と時間とお金が必要。なので、一本だけ観て頂きたい。“知られざるギトリの世界”を覗き込めばもう、引き返すことはできなくなるはずだ。

そもそもサッシャ・ギトリをご存じだろうか。私も大して詳しいわけではないが、自作自演スタイルでヌーヴェルヴァーグ以前のフランス映画界を牽引し、ジャン・ルノワールと双璧を成す、鼻が異様に高い(我々は彼の横顔を映し出すショットに惚れ惚れし続けるのだ)映画作家と言ったところか。私が彼を知った頃には既にそのような位置付けをされていたが、日本での再評価の歴史は決して古いものではないらしく、本格的な特集も今回が初だとのこと。彼の作品が手近にないことにも当時の評価というものが関係してくるのかもしれない。また、彼は演劇と映画を股に掛けるように芸術活動を続けた。それもあってか手掛ける映画の多くは室内劇となっている。

 霧の向こう側にギトリの輪郭が浮かんできたくらいの説明に留めておき、作品紹介に移ろう。『夢を見ましょう』は弁護士であるギトリの屋敷にある夫婦が招待され、その妻と不倫関係を結ぶ二日間の話である。主に人物はその三人である。

 先程ギトリ作品には室内劇が多いことを述べたが、その映画は演劇的かと問われればそうとも言えない。しかし80分の上映時間に対して150程度のカット数であるからカット割りの多さに頼って映画的空間を構築している訳でもないことは分かるだろう。では、どのように彼は作家性を認められるような映画作品を作っているのか。とギトリの作家論文のような書き出しをするまでもなく、冒頭を観てもらえればその強烈な匂いを嗅がざるを得ない。ギトリ宅で行われているパーティという設定で(主ギトリはそこには出ては来ない)映画は始まると、出席者たちの談笑をカメラが映していく。そのあまりにも滑らかなカメラワークはまるでそこで奏でられている音楽に合わせてダンスを踊っているようだ。ゴージャスな世界に居合わせたような感覚になる。導入の心地良さにうっとりしていると、口やかましい亭主とそんな彼に呆れている妻にその空気感は壊され、彼らの台詞に耳を傾けてしまう、この空気を壊しといてお前たちは何を口論しているのかと。その内容は案の定取り留めなく滑稽であり、この映画はコメディであると教えてくれる。しかし上流階級を皮肉っているものではなく、あくまでも亭主の性格からくるものとそれに反応する妻のミニマムなやり取りだ。そこへギトリ登場!と、ここから先は是非ご覧になって頂きたい。作品の内容や展開は至ってベタである。しかし、ギトリは自分が登場するまでの15分で知られざる世界への地図を渡し、ここからナビゲートが始まる。

 ギトリ作品にはいくつものドアが存在し、この使い方が部屋の外の世界(ドアの向こう側)を意識させてくれる。これが窮屈な室内劇だと思わずに済む一番の理由だろう。家の入口、ギトリの部屋の入口、部屋の奥にあるドア、翌朝であることを確認する為の窓。彼らの内/外で繰り広げられるやり取り、内は常に外を思わせる言動をするのだ。4時15分前になっても来ないギトリに対する亭主の憤怒、夜になっても現れない女を待ち焦がれるギトリの15分に及ぶモノローグ。ドアの向こうの音に反応するギトリと彼女。我々は外の人物がどこで何をしているか知ることはできない。ただできることは、家の入口から部屋の入口までの距離を共に歩き(その束の間にも外では何かが起こっている)、内側の人物と共に真相を知り、その内容に驚き、可笑しさに手を叩いて笑う。

 チラシには蓮實重彦が以前ギトリに関して触れる際に使用していた「小津にも劣らぬ大胆なつなぎ間違い」との文言が記載されていた。確かに大胆ではあるが、それに小津っぽさを感じることは正直できず、引っ掛かりも覚えている。日本を代表する映画評論家に背を向ける気は毛頭ないが、大胆というよりも“急旋回”と言った方が正しいと思ったからだ。室内劇において場が変わらないことは時として退屈さを喚起する。しかも、本作はベタな展開で繰り広げられる物語であるからある程度の予測はできてしまう。それを打破する為なのか、ギトリはハンドルを一瞬にして切り返す様に予測も出来ないポジションにカメラを据える。その意識と実行力は大胆である、しかし前後のショット間の脈絡が希薄な中、やはり我々は本気で観なければその遠心力に負けて映画から放り出されてしまうのだ。ここまで次のショットが予測できない映画も珍しい。さらに言えば映画内のギトリが話す声もその役割を担っているのではないか。一人の人物から発されたとは想像もつかない程ヴァリエーション豊富な声質も、登場人物には聞こえない音が存在しない本作においてまさしくトーンを変える。その真髄が15分間に及ぶモノローグシーンだ。このシーンは他のどの会話シーンよりも強い。つなぎ間違いとギトリの声(と身振り)による演技の組み合わせが至宝の体験を与えてくれる。可能ならばスクランブル交差点の電光掲示板に映し出したいくらいだ。人々が足を止めて同じ場所を眺める、その後に集合場所に遅刻し後悔するが、それも悪くない時間だったと微笑みをもって帰路へ向かう様を思い浮かべることができる。言い過ぎかもしれないが、とてつもなく魅力的なワンシーンだ。

 

ある映画を称賛するのは、覚悟がいる。手放しに誉めるのは作品を陳腐な言葉でコーティングして映画の立体感を窄ませてしまう恐れを孕んでいるからだ。それでもたまにそうする他に手段がない瞬間もある。本作はそれに当てはまる。あらゆる驚きを体験しに、知られざる世界へと足を向けてみるのはいかがでしょうか。四月には梅本洋一によるギトリにまつわる著書(『サッシャ・ギトリ――都市・演劇・映画(増補新版)』)も発売される。きっとこれから今にも増してギトリの地位は揺るぎないものになるはずだ。その流れに自ら足を突っ込み、巻き込まれていきたい。

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・シネマヴェーラ渋谷HP:http://www.cinemavera.com/

・『夢を見ましょう』上映日程

3/11 14:30~

3/13 13:25~

3/16 16:20~

3/19 19:55~

3/22 16:45~

3/23 18:15~

3/24 11:00~

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