『夏の砂の上』作者・松田正隆さん特別インタビュー#3「小説を書いてみようとしても書けなかった」

kikusukuでは「夏の砂の上」の上演・戯曲本の発売を記念して、本作の作者である劇作家・演出家の松田正隆さんにインタビューを行いました。(全4回連載)

『夏の砂の上』公式サイト(ページ下部【公演情報】にURLを記載)より引用。撮影:細野晋司

これまでのインタビューはこちらから。

『夏の砂の上』作者・松田正隆さん特別インタビュー#1「長崎という町の感触を……」

田中圭、西田尚美、山田杏奈らが出演する舞台『夏の砂の上』が、2022年11月より世田谷パブリックシアター他にて上演されます。kikusukuでは作者である松田正隆さんにお話…

『夏の砂の上』作者・松田正隆さん特別インタビュー#2「長崎」を描き続ける必然性とは?

田中圭、西田尚美、山田杏奈らが出演する舞台『夏の砂の上』が、2022年11月より世田谷パブリックシアター他にて上演されます。kikusukuでは作者である松田正隆さんにお話…

#3では、戯曲を書くとはどういうことなのか、小説執筆との違いを踏まえながらお話ししてくださいました。

#3 小説を書いてみようとしても書けなかった―演劇の戯曲と小説の違いとは何か

松田正隆さん(撮影:ひなた)

――毎回、戯曲を書き始める際に、書きたいと思うきっかけのようなものはあるのでしょうか?

松田正隆さん(以下、松田):
書かなきゃいけないから書くわけだよね。「上演しようよ」となるから。でも戯曲を20年以上書き続けたのはなんでだろうっていうのは今回(戯曲集の出版を機に)考えたのね。なんで小説書かなかったのかな、と。戯曲も小説も書いてる人もいるから。まあ小説を書けと言われなかったからなんだけども。

――小説を書いてみようとしたことはないんですか?

松田:何回か書いてみようとしたんだけど、書けなくて。なんか書く気が起こらなかった。戯曲にも色々あるんだけど、僕が考える戯曲っていうのは、書き出す時に先まで分かる。どこに至るか分かるってわけじゃないんだけど、書き始めの時、既に空間的な立体化ができてる。地の文を書かないで済むわけなんですよ。

――確かに、小説だと地の文があります

松田:小説を書こうとすると地の文が書けなくて。小説にも色々あるから、そうやって書かなくてもいいのかもしれないですけどね。でも地の文を書いていたら、あまりにも腹立たしくなって途方に暮れたわけ。「なんじゃこら、こんなこと小説家やってんのか」って。

――小説には小説、戯曲には戯曲という形ならではの魅力がありますよね。

松田:(戯曲を)書いてみると分かると思うけど、書こうとしていると、ドライブしてくれる、駆動してくれる、ペン先を滑らしている、その先のところの、まだ言葉になっていないイメージみたいなもの、が重要じゃない。書いてしまったものが、それ(まだ言葉になっていないイメージ)との関係で触発されて、既に書かれてしまったものと、まだ書いていないものとのせめぎ合いみたいなものが起きる。それにわくわくして書くということですよね。

――言葉になったものと、まだ言葉にならないイメージとのせめぎ合いというのは、戯曲にも小説にもある気がします。

松田:その見通しみたいなものが、戯曲の方がしっかりしていて、信頼もできたわけですよ。(小説の)地の文っていうのは、信頼ができないわけ。空間的な見通しがついてないから。

――「空間的な見通し」ですか。

松田:戯曲を書く時には、登場人物が次に何を喋るとか、どういう空間でどういう風にしてるかっていう見通しがついている。小説を書く時はいちいち場を定めながら書いていかなきゃいけないし、そのことが重要なんだと思う。だから小説家ってすごい。書いたものがそのまま読者の目に触れるから。もちろん書き直したりはするけど、その場その場、でしょう? 

――確かに、小説はその場所の全てを言葉だけで立ち上げていますよね。戯曲の場合、実際の上演で場所・空間があって、俳優の身体があって、ある程度そこを信頼して任せることができる。

松田:戯曲はね、発話も含めた行動を、ずっと書いていける。行動は、僕にとって<線>なんですよ。<線>は<面>を作って、最終的には<場面>をつくる、って言い方にしたいんだけど。<線>は運動・行動で、受動的にでき上がるのが<面>。<線>をこう色々書いていくとおのずと<面>が生まれてくるんだけど、<面>の方を能動的に書くことはできないって思いますね。それが小説だと、書いたものがおのずともう<面>になるから。

――戯曲は<線>を紡いでいくけれど、小説は線だけでなく<面>も書いていかなければならない。

松田:<線>をずっと書いていって、ぼんやり<面>ができてくる。その<面>が(今度は)<線>を促していくってことなんですよ。そうやって、<線>と<面>の問題が続いていくわけなんですよね。いずれにせよ能動的に(線を)作り出すためには、行為を作っていかなければならないので。それがさっき言ったことですよ。(戯曲は)<線>さえ書いとけばいい、<線>から始められる。小説は、<面>の方もちゃんと書いていかないと。

――「線」というのは、具体的にどのようなもののことを指すのでしょうか。

松田:<線>は、俳優や登場人物の動きや発話。例えば設定として「喫茶店」と書いても、それは<面>じゃないんだよね。枠ではあるかもしれないけど。俳優が発話して、運動を起こしていくうちに、その喫茶店ってところに<場面>が生まれていく。<場面>は書いていく内に生成されていくし、その生成は上演にも関わる。

#4「なぜ30年間も演劇を続けて来られたのか」につづく(11月18日公開予定)


【編集部のひとこと】

ひなた:私も戯曲を書くのですが、戯曲は一つの完成形というより設計図のようなものだという感覚があります。それに対して小説は、それ単体で完成している。どちらも物語を描いていますが、大きく異なる二つだと思います。

ミワ:小説だったら「彼は顔を赤らめて憤怒しながらこう言った」など、人物の描写(地の文)が詳しく書いてあるけれど、戯曲は、俳優や演出家が想像する<余白>が残っている。その余白を読み取っていく、読み解いていくことが俳優としては面白くもあり難しい仕事です。

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ご応募お待ちしております!【応募〆切:11月25日(金)23:59まで】※ご当選の方のみご連絡いたします。

〈公演情報〉

『夏の砂の上』

【作】松田正隆 
【演出】栗山民也

【出演】田中圭 西田尚美 山田杏奈
    尾上寛之 松岡依都美 粕谷吉洋 深谷美歩 三村和敬

【日程】
東京公演は2022年11月3日(木・祝) ~ 11月20日(日)、世田谷パブリックシアターにて上演。
その他、11~12月にかけ兵庫・宮崎・愛知・長野をツアー予定。

チケットの詳細は公式HP・SNSをご確認ください。

【公式HP】  https://setagaya-pt.jp/performances/2202211natsunosunanoue.html
【公式Twitter/Instagram】 @natsunosunanoue

☆戯曲が収録された文庫本も発売中

『松田正隆Ⅰ 夏の砂の上/坂の上の家/蝶のやうな私の郷愁』
早川書房/【価格】1,800+税

日本現代演劇の旗手、松田正隆の代表作3作を初文庫化。日常の裂け目や静かな台詞の行間から、心の渇き、生と死、都市の記憶が滲みだす。長崎を舞台にした、作家の初期代表作を収録。(早川書房HPより)

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