揺れるがらんどう


数年前の夏、私はトイレットペーパーの芯になって田んぼの中を電車で揺られていた。

一応、他の人には人間に見えていたと思う。

でも当人からすれば、それは指先にも力を入れることが出来ず、考え事もすぐ塵の玉になって身体の真ん中をゴト、と落ちていくだけの、図体ばかり大きな筒でしかなかった。さっきから車体がよく揺れるので、脇腹や腕が浅くボコボコと凹むような気がする。

私が筒になってしまったのには、細々した理由がいくつかあった。

いま、自分が高校2年生の夏休みの真ん中にいる。それだけで焦燥してじっとしていられなくなってしまっていた。

バンドでもっと上手くなりたい、告白もしてみよう、宿題もやらなきゃ、綺麗に見える服でも買おうか。

人生最後の高2の夏を最高にできるのは自分しかおらず、誰かの何かを待っていたってただ暑い日が過ぎるだけだと気づいてから、誰かとの話のネタにすることもなく、私は大真面目に様々なアクションを仕掛けていた。

でも思うようにギターは上達しないし、普通に振られるし、漢文すら手につかないし、新しい服は腕が太く見える。行動力を加味してもいつだって65点くらいの結果になる、つくづく私はそういう人間なんだと思った。

(ちなみに宿題は特に壊滅的で、この後私はあろうことか国語のテストで65点どころか28点を取った。)

文化祭の準備でなんだかんだ学校には行く。

弦の上で指が腫れ、私を振った人と廊下ですれ違い、シャーペンの芯が折れ、鏡に二の腕が写る度に、細胞がへたり込んでいくのを感じる。ああ、アスファルトの打ち水と一緒に、頭からつま先まで蒸発してしまいたい。

"行ける限り遠い所に行こう"

そんな時にふと思った。

気がつけば、親の実家行きの切符を片手に、先ほどの電車の中にいた。

特になんということはない帰省。でもひとりで来るのは初めてだ。

鈍行なので、いつも通りの横長のシートの一番端に座り、手すりに頭を思い切り預ける。つむじの少し脇に、ひんやりした感覚だけを感じながら窓の外を眺めていた。

1年に何度かこの車窓から再会する、年季の入った家々。

「〇〇ホテル ⛰月完成予定!」と30年くらい前の日付が書かれた立て看板。

キャベツやら稲やらが一面に広がる田畑。

私が高校2年生の夏を迎えていようといまいと、こいつらはずっとここにいる。こうして電車に飛び乗れば、いつだって目に飛び込んでくる。

深い理由もなくそんなことに感嘆しながら、しばらくするとその気持ちも足元にゴト、と落ち、またどうでもいい考え事をしていたら、目的地に着いていた。

自分の学生生活を電車で1時間半離れた所に置いてきたと思うだけでなんだか胸がすいて、足元から段々人間に戻っていくようだ。

私はトイペの芯改め2本の脚を生やした筒として祖母の家へ向かった。

祖母と母の妹のよっちゃん(仮称)が迎えてくれる。

向こうで何か特別なことをしたわけではない。

祖母の思惑でめくるめくフルーツやいただきものの嵐に襲われる食卓を鎮めたり、よっちゃんの車でしまむらに連れて行ってもらってセール品のサロペットを買ったり、母がいつ置いていったのかわからないサークルの卒業文集と、結婚の時に写真館で撮った岩石のような表情の父との2ショットを母の部屋でこっそり1人眺めたりした。

サークルの寄せ書きに若い母の字で「いまは恋の季節」みたいなことが書いてあって、蛙の子は蛙なんだなと思う。

昔からおばさんというより田舎のいとこのような感覚のよっちゃんは、ちびまる子ちゃんがそのまま40代になったような人で、昔から何でも話せた。

だから宿題が終わらないことやギターが上達しないことはすぐ言えたけど、告白をしてみたことは結局一度も話さなかった。なんとなく茶化されるような気もしたし、何となく今も言っていない。

でもそれでいいんだと思った。

普段何から何まで人に話して初めてリラックス出来る自分がなぜそう思うのか分からなかったけど、そんなことを思いながら帰りの電車に乗り込む頃には、私は筒でもなんでもなく凡な16歳の人間になっていた。

旅は失敗したあやとりのように絡まった惨めさを緩めて、いくばくかマシなものにしてくれる。

この経験を元にそれに気付いてからというもの、私は追い詰められたら少し遠くへ1人で行くようになった。

熱海や鎌倉、何箇所か行ってどれも楽しかったけど、一番思い出深い旅路は人間でない状態で電車に揺られていたこの時だ。

あの時私の真ん中をすり抜けて足元にボトボトと落ちていった思いは、今もつま先に染み込んで、たまに一歩踏み出す力をくれているような、そんな気がする。

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