「推し」との距離感
双眼鏡を覗いた先に見える、輝く推しの姿。
私にはこの距離感が心地良い。
2階席。真ん中よりは少し前。
近いとは言い難い席にいた私は、推しがステージに現れてすぐ、双眼鏡を覗き込んだ。
目に飛び込んできたのは、屈託のない笑顔で会場を見渡す推しの姿。
それとほぼ同時に、推しの名を叫ぶ観客の声、そして推しの歌声が耳に入ってきた。
その瞬間、何を考えるよりも先に、涙腺が反応したのが分かった。
喉元がキュッと締まった感覚がした。
これは身体から込み上げてくる何かを抑えようとした、身体の反射的なものだろうか。
思わず口元に当てた手は、制御不能なほどに震えていた。
「きっと姿を観ただけで泣いてしまうだろうな」とは思っていた。
だって、本当に久しぶりに推しを観にいけたのだから。ようやく、会いにいけたのだから。
それにしても、推しの姿を一目見ただけでこんなにも心を揺さぶられるなんて......正直、自分でも驚いた。
思考より感情が先走っていて、あの時の衝動を言葉に落とし込むのは難しいけれど、私にとってどれほど推しが特別か、直接姿を見られることが何事にも代えがたい喜びであるか痛感した瞬間だった。
久々の推しに会う前に、別の推しのことで思い悩むことがあった。
悩みの種は主に推し方や推しとの距離感について。
私は十何年も所謂アイドルオタクをしていて、常にベストな推し方は何なのか考え、選んできたけれど、自分のポリシーを守ったが故に、とんでもなく悲しい状況に陥っていた。
推しにどれほどお金をかけるか、お金をかけるにしてもどこに重点を置くか、ライブやイベントにどれほど足を運ぶか、ライブの席はどこか、どういう仕事をしてほしいとか、推しにどういてほしいとか、どういうファンでいたいかとか、認知とかファンサとか......そういうことを考えるたびに鬱々として、心地良さを失っていたところだった。
でも、久々に推しの姿を観た瞬間に
「いや、私、これだけで十分じゃん。」と思えた。
肉眼で表情が見えないほどの距離感でも、推しと同じ空間にいられることを心底嬉しく思ったし、双眼鏡を覗いてようやく推しの表情が目に飛び込んできたその瞬間のことを1ヶ月以上経った今でも特別に思い、こうしてドラマティックに書き上げてしまう私がいる。
推しに心を動かされ、多くの感情と出逢うこと。
私は、それが大事だし、それだけでも十分に満たされていた。
私は、この絶妙な距離感を心地良く感じていた。
そうと分かれば簡単だ。お金だ数だ認知が何だ。
上っ面なモノサシで気に病むのはもうやめだ。
双眼鏡を外し会場全体を見渡すと、あたり一面が推しのメンバーカラーで染まっていた。
いつももらってばかりだから。感謝と愛とエトセトラ、私がいま推しに届けたい全ての感情が光となり、どうか推しに届きますように。推しを輝かせる光になりますように。
そう願いながら、ペンライトをぎゅっと握り直した。
kikusukuライターの「こんぶ」です。アイドルとドラマとお酒を飲むことが好き。ラジオもよく聞く。好きが多すぎて、毎日忙しなく生きてます。
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