「認知」されたくないオタクの心情について。 ーー推しを「消費」していること
あなたは推しに「認知」されたいですか?
「推しに認知される」とは、推しが自分の顔や名前等を覚えること。
推しが私たちと同じ世界に生きる人間である場合ーー例えばアイドルなら、握手会に足繁く通う。例えばバンドなら、ライブに毎回前方で参加するーーそんな「推し活」をしていると、推しに認知されることがある。
推しに認知されたいがために、現場(=推し活にまつわるイベントをそう呼ぶことがある)に通い詰めているような人もいると聞く。推しに認知されているかどうかで一喜一憂したり、オタク同士でマウントを取り合ったりもするらしい。
他にも、ラジオで頻繁にメールが読まれる名物リスナーなんかはパーソナリティに「認知」されていると言えるし、学校で人気の先輩に名前を覚えてもらった時にも「認知」されたとはしゃぐことも少なくないだろう。
大好きな相手が、自分のことを認識している。自分のことを覚えてくれている。
その喜び、もしくはその欲望が「認知」という言い回しに込められているのだ。
しかし、私はと言うと「認知されたくないオタク」である。その訳を、この場を借りて少し整理してみようと思う。
(予め断っておくと、「推しに認知されたい」という気持ちを否定する意図は一切ありません)

私の推しはとある俳優さん。
「推しさん」ということで、仮にOさんとでも呼ぼう。
Oさんのお芝居に魅了されて、心をグッと鷲掴みにされて、気が付けば他の出演作やインタビューにも手を伸ばしている自分がいた。その中で本人のお人柄に触れ、尊敬できる部分をたくさん知って、どんどんどんどん愛おしい存在になっていった。”沼落ち“して早7年以上、Oさんは私の生活・人生の一部となっている。もはや家族のような感覚すらあるくらいだ。そのお芝居に、言葉に、ご活躍に、本当にたくさんの力をもらってきた。大げさでなく、生きる力をもらってきた。幸せをもらってきた。
と、私は今「家族」という言い回しをした訳だが、これは本当に不思議な感覚だ。なぜなら、Oさんは私のことを一切知らないから。そう、Oさんは私の存在を「認知」すらしていないというのに、私はOさんの事を家族のように感じている。一歩引いて考えてみると、これは本当に変な話だ。
ただし、こう言い換えると事は違って見えてくる。「私」個人ではなく「ファン」に置き換えてみるのだ。
「ファンは、Oさんの事を家族のように感じている。Oさんもファンの存在を家族のように感じている。」
「私⇄推し」ではなく「ファンという集合体⇄推し」という関係性になった途端、この「家族」のような関係性が両者にとって成立しうる。なんということでしょう。
つまり、私が「推し」との関係性に求めているのは、身近な人たちと取るような1対1のコミュニケーションではなく〈大勢〉対〈個人〉のコミュニケーションなのである。
1対1のコミュニケーションでは、深い付き合いをすることもできるけれど、その分相手を傷つけたり、傷つけられたりすることもあるし、相手に失望することもある。
しかし、推しとの関係性の中で私が「大勢いるファンの中の一人」でいる限り、リアルなコミュニケーションで傷つけ合うことは決してない。私はOさんに対して勝手に家族のような感覚を抱いていられるし、Oさんがファン全体へ向けるポジティブな気持ちだけを受け取ることができる。「いつも応援してくれてありがとう」とか「体調には気をつけてね」とか。
これが私にとって心地よい距離感だから、そこに「推しからの認知」はいらないし、かえって邪魔になってしまうくらいなのだ。

ただし、この距離感もまた相当に怖いものなのだということを、ここに記しておきたい。なぜなら、こうやって私は推しを「消費」しているから。
私は、勝手にOさんの事を家族のように近しい存在に感じて「その人」のことが分かっているような気になっている。しかし勿論、私が知っているのはOさんのほんの一部で、私が見ているのはOさんの「俳優としての顔」だけだ。プライベートのOさんを、俳優という職業を脱ぎ捨てたOさん自身のことを、私は何一つ知らない。知らないというのに、私はOさんという人のことを知った気になっている。それは本当に、愚かで恐ろしいことだと思う。
俳優やアイドルなど、自らが表に出て活動をするという職業は、必然的に自らを”商品“として売ることとなる。「有名税」という言葉が存在するように、プライベートも気が休まらなかったり、世間やファンの持つイメージと本来の自分との解離に苦しんだりする人もいるだろう。
SNSが普及し、誰でも気軽に情報発信ができるようになった現代で、有名税はあまりにも高すぎると思う。芸能人が誰と付き合っていようが、別れようが、結婚しようが、離婚しようが、本人たちの自由だし、それを日本中に発信される筋合いはどこにもない。芸能人の不倫が幾度なくスクープされ、激しいバッシングを受けることも少なくないが、あくまで当人間の問題であり、知り合いでも何でもない私たちには口出しする権利のない話だと思う。
話を戻そう。
推しは自分自身を商売道具にしていて、それによって生み出された作品を私は受け取っている。私は、私にとって本当に大切な人を、コンテンツとして、エンタメとして、商品として、消費してしまっている。
芸能という職業柄「消費されること」はある程度仕方がないことなのかもしれない。
でも、俳優は俳優である前に一人の人間だ。アイドルも、歌手もみんなそう。私たち一人ひとりと何ら変わらず、そこに生きている”ただの“人間だ。その事を決して忘れてはいけないし、私は推しを「消費」しているという事を、自覚し続けていようと心に決めている。
そして、俳優としてではなく、一個人としてOさんが幸せであることを願っている。
私はOさんのお芝居が本当に大好きだし、その表現に何度も心を救われてきたけれど、もしOさんが俳優という職業を辞めても、私はOさんという人、その存在自体が大好きなのだと、声を大にして言いたい。
その上で、あなたのお芝居を、表現を、言葉を、発信し続ける事を選んでくれているという奇跡に、Oさんと巡り会えたというこの奇跡に、心の底から感謝を伝えたい。
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拝啓、いや。
前略、推しさま
生まれてきてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。私と出会ってくれてありがとう。あなたの表現を世に出してくれてありがとう。生きる力をありがとう。
例え、私の知っているあなたはあなたの内のほんの一部だとしても、私はあなたのことが大好きです。
どうか、お身体に気をつけて。あなたの幸せを、ずっとずっと祈っています。
名も無きファンより

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