あの頃の生き方を
「変なこと覚えてるね」とよく言われる。
私もそう思う。
私が生まれて初めてカラオケの十八番にした曲はユーミンの「卒業写真」だった。当時、5歳。
その頃よく家でかかっていたユーミンのベストアルバムの中でも歌いやすかったから歌っていたのだが、まだ卒園も経験していない人間が真っ直ぐな瞳で歌うその曲は、両親と、ママ友忘年会に居合わせた保育園のお母さんたちからウケにウケていた。
卒業ってどんなものなんだろう。
一切の別れをまだ経験していなかったけれど、たぶん寂しい気持ちになるものなんだろうな……と、意味も分からず画面を流れていく歌詞を見ながらぼーっと思っていたのを覚えている。
ほどなくして、私は卒園した。
生まれて初めての「卒業」だった。
そして卒園式で私は戦慄していた。
全っ然、悲しくないのだ。
半分くらいの同級生は同じ小学校に上がったが、仲の良かった子との別れもあった。
次にいつ会えるかもわからない大好きな先生もいた。
愛着のある園舎にも、多分もう足を踏み入れることはできない。
それでも私は悲しくなるどころか、拍子抜けするような感覚さえ感じていた。
あんなに日常の細部へ濃く染み込んでいた自分の「所属」が、時間の経過であっさり失われる。
その事実は張り詰めた糸をぷちんと切られた凧みたいに、私を自由にしてくれたような気がした。
成長とともに私の情緒は細胞分裂を繰り返し、中学卒業の頃には卒業式の涙を理解できるようになるのだが、それはまだ少し先の話だった。
ふわふわとやり場のない不思議な高揚感をどうすればいいか分からないまま、とりあえず6歳の私はリビングのソファの背もたれに両足を引っ掛け、両手を投げ出してコウモリのように逆さ吊りになった(何故)。
世界がひっくり返って見える。
なんだ、意外と世界ってその時が来ればひっくり返せちゃうものなのかもしれない。
「今日はわたしの卒園式!!!
今日からわたしはただの人!!!!
保育園の子でも小学生でもないただの人〜〜!!!!!」
頭の方に重力を感じながら歌唱と絶叫の中間みたいな調子で即興のポエムを口にしていると、父が腹を抱えて笑いながら、天井を両足で踏みしめる逆さの姿になって近づいてきた。
記憶はそこから曖昧になっている。
確かその後は頭に血が上って椅子に座り直し、保育園での思い出話を滔々としながら眠ったような気がする。
自分は卒園と入学の中間にいるので「ただの人」になったのだ、と叫ぶ娘の姿を、当時の父はどう見ていたんだろう。
この日から15年後、長年勤めた会社を辞めて本当に好きなことをやり始めることになる父には、悪くないものに写っていたんじゃないだろうか。
父は今でも時々、あの日の私を思い出すらしい。
変なこと覚えてるんだね。
私もだけど。
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