極彩色の痛み

魚交です。

こうしてキーボードを叩くのは1年と少しぶりでしょうか。きっと僕のことを知らない人もたくさんいると思います。
なんならそういう人の方が多いと思います。なので自己紹介をもう一度。

魚交です。「ととこも」と読みます。
言葉と音楽と、あと最近気づいたんですが、僕はありとあらゆる痛みを伴って生きている気がします。
けれどそれらをただ「痛み」と言い包めるのはなんとなく嫌なので、
せめてもの抵抗として「極彩色」という鮮やかな枕詞を接着剤にして、
人前に出したらちょっと恥ずかしいくらいの温度にして抱いています。

そんな痛みを言語化できたなら、僕は今の僕にはなっていないでしょう。
そういう意味ではそれらの痛みに感謝の気持ちがないわけではないけれど、
にしたってもうちょっとやり方ってもんがあるだろうと恨み言を吐いてやりたくもなります。

なんてそれっぽいことを宣ってはいるものの、そんな痛みの数々を僕は何ひとつ理解できていません。
ただ「痛い」ということだけが鮮明で、そのせいで俺が今どれだけ大変な目に遭ってるか
わかってんのかお前このやろうという気持ちだけが先走って、それをぶつける壁は見つからないまま、
360度どこにでも行ける世界でどこにも行かない選択をし続け、また痛みの色が増えていく。

これを書いている今だって痛みの真っ只中です。
怒りとか不安とか愚痴とか後悔とか、そういうものは全部自分の中に押しとどめて誰にも見せないように、
外気に触れさせないようにしてきたのに、そのせいでその痛みは熟れることも腐ることもなく、綺麗な姿のままそこにいる。

だから美しくてたまらないのかもしれない。
だからいつまで経っても手放せないのかもしれない。

「痛みの属人性」なるものをよく考えます。
雑に言えば、「俺の痛みは俺だけのものだ。他の誰にも肩代わりはさせない」ということです。

この痛みを話せば、きっと誰かはわかってくれる。きっとあなたは寄り添ってくれる。
それでも、僕は僕にしかわからないこの痛みを抱えていたいと思ってしまう。
それが何色であろうとも、僕を形作るものには違いないはずだから。

とまぁこんなメンヘラ激重自分語りなんかをしていても、結局僕は僕のことが大好きでたまらないのです。
そりゃあもう、世界で一番と言うべきほどに。

自分を好きでいられるうちは、なんとかかんとかやっていけそうな気がしなくもない。
きっと人生なんて、そういうふわふわしたものの上に流れている。

何の話でしたっけ。思いついたことを打ち込んでは消し打ち込んでは消し、
なんだか遠いところまで来てしまったような気がします。

そろそろ家に帰りましょうか。ちょうど電車も来たことですし。
まぁこれ書いてるの家なんですけど。ガハハ。

こうやってちょっとふざけて小っ恥ずかしいことをなかったことにするのは、僕の悪い癖かもしれません。

それでもいいだろ。人間なんだから。

好き勝手書いたらだいぶすっきりしました。
付き合わせてしまってごめんなさい。付き合ってくれてありがとう。

それじゃ、またどこかで。

魚交

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