お祝いと葛藤

 誕生日はめでたい日。年に1回自分が主役になれる日。最近はそう思えるようになった。きっと盛大に祝ってくれる人に恵まれているから。そしてそのありがたさに気づけたから。

 昔は自分の誕生日が苦手だった。祝ってくれる人を探さなきゃいけなかったから。私の誕生日は8月2日。小中高生にとっては夏休み真っ盛りな時期。誕生日を祝ってもらいたかったら約束を自ら取り付けなくてはいけなかった。

しかも私が小学生の頃は連絡手段がお互いの家の電話くらいしかなかった。親御さんが共働きでキッズケータイを持っている子がチラホラいたくらい。学校で会った時に遊ぶ約束をするのが定番だった。

夏休み前は毎年考えていた。今年の誕生日はどうしよう。でも、7月に誕生日を迎える友達がいる時は気楽だった。「私は8月2日だからさ!良かったら夏休み中に会ってほしいな」と友人の誕生日を祝うついでにアピールができる。中には「夏休み会えるかわかんないから、先にプレゼントあげる!」という子もいた。とてもありがたい。逆に「遅くなっちゃうけど、9月にプレゼントあげるね!」という子もいた。これは大体忘れられる。本当にプレゼントをもらえたら泣いて喜んだくらいに、秋になったら忘れられている。

誰かに誕生日をお祝いするのは好きだったし、サプライズを仕掛けるのも得意。人が笑顔になったり、喜んでいるところを見るのは私にとって生きがいでもある。誰かの誕生日は昔から心を込めてお祝いしていた。

でも小学生の私にはお小遣いがなかった。欲しい物はお母さんに交渉するしかない。「〇〇ちゃん誕生日もうすぐなんだけど、何かあげたいんだ」と言ってお願いした。「〇〇ちゃん?そうねぇ何がいいかしらねぇ」と母も一緒に考えてくれた。しかし私は交友範囲が広い方だったせいか「〇〇ちゃん?お返しもらったことあったっけ!?」と渋られることもあった。あまり母が認識できていない友人や、私への誕生日プレゼントを忘れがちな友人に対して、あげる価値があるのかと言われた気分だった。

 そんな母は毎年家族の誕生日が来ると必ずお手製のケーキを焼いてくれた。私の誕生祝いには、生クリームとパイナップルがたっぷりと乗ったスポンジのホールケーキを毎年欠かさず焼いてくれる。とてもありがたいね。昔は「なんでいちごが乗ってないの!?!」と言ってしまったこともあった。でもパイナップル缶を使うことで、残ったパイナップルとシロップはゼリーにして後日食べられるし、一石二鳥だなと最近は思うようになった。

母お手製のホールケーキ
母お手製のホールケーキ

 

 中学高校時代はそれこそ大変だった。月3000円の小遣いで友人らに誕生日プレゼントを用意しなくてはならない。でもみんなそこそこの値段のものをプレゼント交換するようになる。母にも認知されている友人らへのプレゼントは、何とか交渉し、いつもより多めに小遣いをもらうことで対応した。逆に言えば、確実に私にも誕生日プレゼントを用意してくれるであろう友人を厳選し、祝うしかなかった。お陰で人の誕生日を気楽に祝えない。金勘定をしながら、相手の価値を見定めているみたいで嫌気がした。

 高校1年生の8月2日は、ニュージーランドで迎えた。単身での交換留学中で、ホームステイをしていた。私の誕生日のちょうど1週間前にホストブラザーが誕生日を迎え、ホストシスターの誕生日は私の約1週間後だった。ホストブラザーの誕生日を祝いながら、つい「私の誕生日は1週間後だし、ホストシスターの誕生日はその1週間後だしすごいね。3人の誕生日は近かったんだね」と口にしてしまった。それを聞いたホストマザーは「なんで早く言わないの!?!!!」と大慌て。もはや怒っているかのようだった。「ごめんなさい」ととっさに謝ると「良いのよ!!盛大に祝うからね!!!」と何故か上機嫌だった。当時の私には訳がわからなかった。けど後から、ホストペアレンツは私に対して、本当の娘と同然に接してくれていたからだと気づいた。

誕生日前日、ホストシスター・ブラザーらとリビングで遊びながら両親の帰宅を待っていた。「なんで今日はこんなに遅いんだろうなぁ」と心配になるほど帰りが遅かった。日付が変わる頃に帰宅した2人は「Happy birthday!捺稀!!」とご馳走とプレゼントを抱えていた。泣きたくなるほど嬉しかった事を今でも覚えている。

ホストマザーはいつも「あなたは私の娘なのだから何かあったら私が責任を取るわ。ルールは自分で決めてそれを守ればいい。あなたのしたいようにしなさい」と言ってくれて、本当に寛大な人だった。今でも毎年誕生日を祝ってくれる。本当に感謝しかない。たくさんお礼をしたいけど、返し切れる気がしない。「ありがとう」をたくさん伝えるので精一杯だ。

 大学に入ってからは特に祝ってくれる人が増えた。SNSに登録した誕生日の通知のお陰もあると思う。24時間手軽に連絡が取り合えるようになったおかげか、日付が変わると同時にメッセージをくれる友人もいた。試験期間にも関わらず、わざわざプレゼントを手渡ししてくれる友人もいた。「お互いの誕生日プレゼントを一緒に買いに行こうよ!」と友人らとその場で交換するべく、一緒にショッピングにも行った。大学は多様な人間が居るとは感じていたが、お祝いの仕方も多様で、毎年の誕生日がどれも印象深い。本当にありがたいね。

試験期間中にもかかわらず手書きのメッセージを入れて手渡しでもらえたプレゼント

 大学時代に祝い方は何でも良いことに気づけたのは大きかったと思う。高校まではもらったモノや関係性に応じて、それ相応なお返しをできるか否か、どうしても考えていた。そもそも相応か否か、祝う側が決めるのはおかしい気もする。相手によって価値観は異なるし、大事なのはどうしたら喜んでくれるか、それに尽きるのではないか。最近はそう思えるようになった。

 社会人になると誕生日は久々に友人と連絡を取るチャンスになった。あまり会えていなかったり、連絡を取れていなかったりする友人の誕生日は「最近どうしてる?」と祝いながら近況報告の機会になる。学生時代と比べ、会う機会が減るので、ある種の生存確認だと思っていなくもない。お互い生きて頑張っているんだなぁと安心できる。そして「久々に会おうよ!」となったら万々歳。大喜びで会いに行く。

常に連絡を取り、よく遊びに行く友人は「誕生日どうする!?!」と前々から祝う気満々で本当にありがたしかない。まぁ私も気合を入れて相手の誕生日を祝っている自信はあるので、お互い様なのかもしれない。とてもありがたい関係だね。本当に友人らには感謝しかない。

 さて、気が付いたら珍しく(?)まとまりのない文を長く書いてしまいました。

ここまで読んでくれた、あなた!本当にありがとうございます。何かのご縁だと思いますので、8月2日に捺稀という人間が生まれたことを、祝ってくださると嬉しいです。私もあなたがこの文を読んでくれたことを、心から感謝します。良ければあなたの誕生日も祝いたいので、「読んだよ!」と一言くれると助かります。

 めでたいことは素直に祝って、これからも生きていきたいものですね。また別の記事でお会いしましょう!捺稀でした。

捺稀

捺稀(なつき)と申します。親から授かりし本名です。
好奇心の赴くままに生きているその辺の会社員です。映像身体学部ではなく、INIAD(東洋大学情報連携学部)出身です。
kikusukuを通じて、好きなもの・こと・人の繋がりを広げていけたら良いなと思っています。よろしくお願いします!

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