「優しいあなたに恋してた」第5話

「ユウくん?ちょっとユウくん!」

玄関で寝たままユウくんは起きない。

もしかしてこの数日間ずっと寝てなかったのかな。

私は時間を見た。

電車はダッシュすればあと2本先でもいい。

だからあと8分ここにいられる。

すぐさまユウくんを引っ張って

ベッドに寝かしつけ、キッチンでお粥を作る。

残り4分。LINEは既読がついていない。

つまり今のユウくんにはケータイを見るという習慣が抜け落ちてる。

即座に紙とペンを持ち、

おかゆがあること、

冷蔵庫に残り物のスープがあるので温めて食べていいということ、

お風呂沸かしてあるよということ、

そしてお疲れ様ということを書いてユウくんの手に貼っておいた。

あと1分。お粥をユウくんのベッド脇のスタンドにおいて、お湯張りのボタンを押し、急いで玄関を後にした。

ユウくんともっと話したかったという不満はあったけど、

それでも久しぶりのユウくんを見られたことに満足してしまった。

帰ったら、豚肉のステーキをいつ食べるかだけでも決めないとなと思い、

私は急いで電車に飛び乗った。

少しバタバタしたが、会社に着く頃にはいつも通りの私になっていた。

上がった息も元通りになっていた。

プライベートを仕事に持ち込まない。

それが私の流儀だったし、

私というか会社員共通の流儀だと思っていた。

デスクでまずは昨日の夜から朝に溜まったメールをチェックする。

するとまた牧野からメールが来ていた。

来週の撮影についての資料だった。

相変わらず朝早くからのスタートだったが、終わりは16:00と早くなっていた。

以前は20:00だったが、それだと長すぎてうちの上司の20:00からの会議に間に合わない。

そのため、時間をずらすように牧野に電話していた。ちゃんと要望が反映されてよかったが、牧野が何もミスをしていないことに今度は違和感を覚えた。

ちゃんとしすぎてる。そう思い一文一文文章をしっかりと見直してみた。

案の定「早朝の撮影」が「早超の撮影」になっていた。

そんな時、隣のデスクから同期の宮本マキがひょっこり顔を出した。

「え、今日めっちゃ可愛い」

「え、ありがと〜めっちゃうまくひけたー今日」

「え?だよね。わかったー。めっちゃいいー最高じゃん〜ユズ」

「いや大変だよ最近は……」

「あーあれ?牧野……だっけ?この前飲みで前川さんが笑いながら話してた。あれユズいたっけ?」

「あ、いないかも、え、聞いた?」

「やばいよね、今時そんな漫画みたいなことあるんだねって感じ。そんな経験めったにないよユズ。やったじゃん」

「いや全然できなくていいし。マジでなんであんなに仕事できないんだろ……なんか別のこと考えてるみたいな感じだったんだよなー」

「あー心ここにあらずみたいな?」

「んー、普通にあってくれって感じだけどね」

「多分恋だね。その牧野くんはきっと恋愛で悩んでるんだよ」

「またすぐマキはそういうのに持ってく」

「そうだって!ぜーったい。今度会ってみたら聞いてみなよ。恋愛で悩んでんでしょって」

「それパワハラだし、興味ないし」

「まぁユズにはユウくんがいるもんね」

「まぁね」

とりあえず今度会った時に、変換ミスや細かいミスが多いということは伝えてもいいかなと思い、私は承知いたしましたと完璧な返信メールを送った。

頼むからしっかりしてくれ!牧野!




とりあえず僕は多少回復した。

なつみちゃんのことで自分を責めることは無くなったのと、

単純に撮影が近づいてきておりやることが多く、

なつみちゃんのことを考える余裕が少しなくなったのが理由だ。

発注を確認する。先方の代表が20:00は厳しいと言ったことで、チーフの与田さんは大慌てで各所に確認して時間をリスケした。

そして僕もタクシーやスタジオの時間など色々な時間に関する報告を変更し直す必要があり、ここ数日はその対応に追われていた。

とりあえずスプレッドシートで全ての変更が終わったことを確認して、

与田さんにチェックをしてもらう。

まだ全て変更できていなかったことが判明しその後2時間ほど作業をする。

そうして終電くらいで帰宅する。

気づけば金曜で街は人々の笑い声で溢れていた。

撮影は月曜なので日曜は出社マストだったが、

一旦土曜は休めることになった。

おそらく家から出ずに寝ながら時を過ごすんだろう。

そんな中ケータイをみるとなつみちゃんからLINEが来てた。

そういえば細井さんと飲んだバーの時僕はなんて返したっけ。

「元気そうでよかった!こっちこそ何もできずにごめんね…こっちから聞くのもアレかなと思ったんだけどやっぱりどうしても心配になっちゃって、なつみちゃんさえ元気ならそれでいいと思う!みんなのことも誰のことも気にしないでなつみちゃんが楽しければそれでいいと思うし、少なくとも俺はいい。だからまたよかったら遊びに行こう!」

うーーーわキモいなこりゃ。

酔ってる時に好きな人にLINEをするもんじゃない。

全体的にアウトな文章が出来上がるぞ。

本心ではあるけど、なんか長いし、びっくりマーク多いし……てかなんもできずごめんねっておこがましいな!文句は尽きないがそういえばこれに返信が来たんだった。下にスライドすると何やら写真と長文。

『枯れる水の集まり』

どうやらこれは演劇の情報だった。そして明日の13:00からの回を観劇しないかというお誘いだった。

「私の友達が舞台出てて、それもあって観に行きたいんだけど、それだけじゃなくて話も物凄い面白そうなんだよね!」

なつみちゃんの友達が舞台をやっていることは初耳だったが、そんなことはどうでも良かった。なつみちゃんに誘われた。僕にノーの選択肢はなかった。

そして同時に僕はこんなことを思った。

今度は自分から遊びの誘いを

その日のうちに取り付けるんだ。

自分のエゴでもある。

けどそれで離れてしまうのはもっと嫌だ。

さらに今心の中でモヤモヤしているあの2文字。

「利用」

この言葉を払拭したいという気持ちもあった。

何をどうすれば利用されていないということになるのか。

それはまだわからなかった。

でもとにかく自分から動いてなつみちゃんとの関係を更新していくことが大事だと思った。

なつみちゃんは優しい人だ。

今もそう確信しつつ、

それをより強固なものにするために、

僕はもちろん!という言葉を打ち込み始めた。

13:00

なつみちゃんはワンピースで現れた。

うちの職場はオフィスカジュアルなので

職場とプライベートのカラーが服では出にくい。

それでもどこかなつみちゃんはプライベートな感じだった。

「ごめんね急に、今忙しくないの?」

「うーん……まあ明日出社するかな」

「えー!それ月曜撮影とかじゃん!大丈夫なの?」

「全然!今日はフリーだし全然!」

「ありがとう……え、てか知らないよねこの劇団」

「そうだね……下北沢なんでしょ?」

「うん。そう。私の大学の時の友達がメンバーの1人でやってて、なつみ観にきてー!って言われちゃって」

「なるほどなー、え、大学演劇やってたの?」

「ううん?私はやってないよ。けどゼミが一緒だった」

「へぇ〜ゼミかー」

「そう。その子舞台役者になるって卒業してからずーっとアルバイトしながら色んなところで舞台やってるの。凄いよね」

「すごー、大変じゃない?それ」

「凄い大変って言ってた!

一昨日も電話してたんだけど、アルバイトだと凄いできない奴扱いされるのが嫌なんだって、こっちはシフトが決めやすいからバイトにしてるだけで、バイトが正社員より下みたいな古い価値観ほんとないわーって言ってた」

一昨日も電話してたんだ。結構その子と仲がいいことはなつみちゃんの話し方から容易にわかった。

「ははは。たしかにそれはもっともだね。別に全然正社員だけどできない奴いるから。俺とかね?」

「牧野くんはそんなことないよ〜」

そう言われなかったらどうしようかと思った。

自分のこういうところが

めんどくさい奴だなと思ったりする。

観劇はそれなりに人が入っていた。

でも明らかな空席も目立った。

集客に苦労していたことが推察される。

内容は結構面白かった。

普段演劇を観ることがないからか、

生の迫力に圧倒された。中でも1番凄かったのがなつみちゃんの友達であるみずきさんだった。みずきさんがこの世界の法則を知ってしまい、頭と身体がついていけなくなるシーンが圧巻だった。みずきさんはこの世界のルールを知って泣く。しかし泣き方が本当に自然に身体が涙腺を刺激したとしか思えない泣き方なのだ。

自然に涙が出てくるみずきさんは「あれ、なんで泣いてんだろ?なんで?全然わかんない」と困惑する。やがて大粒の涙を流し声を上げて泣く。

この世界の法則を知って頭では理解してるけど、

身体はその情報についていけず、身体の方が泣いてしまう。そういう自分の身体が他人事のようになる演技が凄まじく、生の演技だからこそ誰が見ても圧巻だった。

カーテンコールで惜しみない拍手を送っている僕は左隣のなつみちゃんを見て驚いた。

ポロポロと涙を落としていた。

僕は大丈夫?と聞いてポケットから仮面ライダーのハンカチを差し出した。

「ありがとう……これ……ありがとう……」

ちょっと笑ってなつみちゃんはハンカチを受け取った。

「全然、大丈夫」

僕は彼女が涙を拭く姿を見ないようにステージの上手側をずっと見ていた。

ラウンジに出るとキャスト全員が僕らを待ってくれていた。みんな口々にありがとうございましたと言っている。凄い熱量だと思った。

なつみちゃんはみずきさんのところに行って、泣きながら感想を伝えていた。

みずきさんは驚くことに泣いていなかった。むしろありがとう、ありがとう、とあたたかくなつみちゃんをなだめるように背中をポンポン叩いていた。

なつみちゃんがハンカチを見て辺りを見渡す。

僕を探してるのかと思い、僕は近づく。

「牧野くんごめん……本当ぐちゃぐちゃになって……洗って返す……」

「あぁ全然……大丈夫よ!」

また会えることが確定した喜びの方が強かった。

「牧野さん?今日はありがとうございました」

みずきさんが僕を見て言った。

「いえいえこちらこそ……ホントすごかったです!

是非今後も……」

「はい!頑張ります!なつもありがと。またね」

なつって呼んでるんだ。

そう思い僕は下北沢シアターを後にした。

「はぁーよかった……」

放心状態のなつみちゃんを目の前に僕は

周りの目が気になって仕方がなかった。

土曜16:00のファミレスは意外と混んでいる。

家族もいたりして、いつにも増して店員さんが動いている気がした。

「本当にみずきちゃん凄くて……」

そこからは怒涛のみずきさんトークを語られた。

みずきさんは今までにどんな役をやってきたのか

今回は今までと何が違うのか

これからみずきさんはどうなっていきたいのか

果てはみずきさんが今抱えてる不満やストレスまで

全てを僕に話してくれた。

逆にみずきさんとなつみちゃんはどうやって仲良くなったのか、そういうなつみちゃんが関係するような話は一切出てこなかった。

「すごいね、なつみちゃん、みずきさんが推しみたいだね」

「そう!推し!ホント大好きなんだ……てか好きって言葉じゃ表せないくらい」

そんな言葉言われたいなと思いつつ、

僕はこのままだとまた次に繋がらないまま終わってしまうと思った。スパゲッティもターメリックピラフも片付けられてそろそろ帰らないとまずい雰囲気が演出されている。今しかない。言葉を投げよう。

「なつみちゃん、なんか元気そうでよかった」

「え?」

「いや、なんか勝手に元気ないのかなって思ってたから、今日早口で推しについて語るなつみちゃん見て、あー元気なんだなって思った」

「んー自分ではあんまり変わってないと思うんだけど。やっぱあそこで働いてる時は辛かったのかも」

「今凄い元気そうだよ」

「ありがとう」

「よかったらさ、またこういうの誘ってよ」

「え、ホント?」

「うん、普段知らない世界知れて楽しかったし」

「嬉しい、誘ってよかった〜」

「だからさ、俺も今度なつみちゃんと行きたいところがあるんだ」

「え?どこ?」

「浅草でさ、ご飯食べ歩きとかしたいなーって思って」

「えー、いいかも!」

「ありがとう!いつくらいが空いてる?」

「えっと、ちょっとまだわかんないんだけど、来……週の日曜とかは空いてるかな?」

「オッケー!来週の日曜ね」

「うん。ありがとう」

何を僕はモヤモヤしてたんだろ。

自分が言わないだけで

言わなきゃそりゃ向こうから来ないのも当たり前だ。

少なくとも僕は利用されてるとは1ミリも思わなかったし、むしろ涙を見せてくれるという時点でだいぶ心を許してくれているのでは?そんな気さえしてとても嬉しくなった。

マモル

マモルです。作品を見ること、作ることが大好きです。ちょっと気を抜くとすぐに、折り畳み傘に髪の毛がひっこ抜かれてしまいます。気を引き締めて毎日生きてます。生き急ぎ過ぎないように。

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喜ばしいことだった。
誰もいない部屋をブラブラする。

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昼の12時。僕は池袋駅にいた。
東口は日曜にふさわしく混雑していた。
あのメッセージがなつみちゃんから来たあと
僕は速攻で遊びに誘った。

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