過去から届いた、正直な不信
“ 二十才の私へ
今日は、六年生の修了式の日です。
明日は卒業式、もうすぐ中学生になるという今日に、
「八年後の自分」へ手紙を書くと聞いて、びっくりしました。
相変わらず元気ですか。
今、私はダンスを八年習っていて、できればこれからも続けたいと思っています。
ところで、私は今、大切な友達がたくさんいます。覚えていますか。
友達といると楽しいし、中には結構ひんぱんにイラっとする人も何人かいるけど、
大人になったらいい思い出になっているのかもしれませんね。
私の夢は、人の役に立つモノを創る人になる事です。
夢が変わってても、がんばってね。”
kikusukuの今回のテーマ「手紙」の記事の執筆が滞っていたので
これまでに色んな人からもらった手紙をためている箱をゴソゴソしていたら、これが出てきた。
これは実際に小6の自分が授業で書いた「20歳の自分への手紙」の文字起こし。
クラス全員分の手紙をご自宅で8年間保管して、忘れず投函してくれた先生は偉人だ。
そんな先生の真摯な愛を前にした当の本人は、子どもらしさを求められている空気感に抗おうとしているものの、内容に嘘はないから偉いと思う。
「結構ひんぱんにイラっとする人」は書いてるときにちょっかいをやめなかった隣の席のクラスメイトのことを言っているのも、全然覚えている。いい思い出というより、記憶の断片って感じだけど......。
という訳であまりにも今の自分と感性が地続きなので、この手紙を最初に読んだ成人式の時はそんなに響かなかったけど、今読むと最後の部分が妙に引っかかる。
“ 私の夢は、人の役に立つモノを創る人になる事です。
夢が変わってても、がんばってね。”
これを書いた頃は
「将来大人になったら、子ども時代の大切なものをすべて忘れて心底つまらない人間になるんだろうな」
と思っていたので、明らかに距離を置かれている。もっと言えば心を閉ざされている。
つまらん大人になった自分に、本心から「表現を人に届ける仕事がしたい」と言い切ったらどうせ鼻で笑われると思ったか。
それでも自分の大切な部分に嘘をつくことはできないから、「モノ」とか「創る」の言い回しで、プライドとの塩梅を取っているな。
そんなあなたから見た、児童館勤務のカメラマン兼ライターの24歳って、どうですか。
「悪くはない」と言ってもらえるように、気合入れて生きていきますね。
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かのこと言います。最近は夢中になって人の写真を撮っています。音楽やチョコミントアイスが好きな人、ぼーっとしてるとなんか考え事をしちゃう人は気が合うかもしれません。そうでない方とも、仲良くなれたらとても嬉しいです。よろしくお願いします。