『くしゃみのふつうの大冒険』#27
瓶のなかのにんじん
くしゃみのおじいさんが亡くなりました。
くしゃみは、冷蔵庫を開けて、水と一緒に瓶詰めにされたにんじんを取り出しました。
それは、彼がまだ幼い頃におじいさんとつくった雪だるまの残骸でした。
おじいさんは、ちいさな畑を持っていました。
でも、育てる野菜果物はいっぱいで、トマト、きゅうり、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、長ねぎ、ヘチマ、オクラ、ナス、ニガウリ、自然薯、キャベツ、レタス、いちご、ぶどう、スイカ、うめ、さくらんぼ、などなどなどなど挙げていったらキリがありません。
「成長していく野菜たちがとても可愛い」と、おじいさんはよく言っていました。
支柱にゆっくりツルを伸ばし、ぐるぐるぐるぐる絡まりながら、大きく育っていくその姿が愛おしくて堪らなかったのです。
ただ、幼いくしゃみは、この言葉を聞くたびに、野菜果物に嫉妬しました。「自分の方が可愛いわい」と、張り合ってやりたくなるのです。
おじいさんは、よく適当なことばかり言っていました。
くしゃみが宿題の手伝いを頼んだときには、「AはBよりもお小遣いが少ない。〇か×か」という2択の計算問題に対して、「多いか少ないかのどっちかだと思うね」と、言っていました。
ラジオでカレー特集を聴いていたら、「道理でカレーの匂いがするわけだ」と言っていました。
また、おじいさんは、「ボディーローション」を「ボデーローション」と呼んでいました。
「必要」は「しつよう」になり、「惜しい」は「ほしい」になっていました。
くしゃみは、故郷を離れる自分にくれたおじいさんの最後の言葉を覚えています。
それは、「子どもをつくらないように気をつけろよ」でした。
でも、最後にくれた本当の言葉は、「くしゃみちゃん、またね。元気でね」でした。
ただ、くしゃみにとって元気でいることは当たり前なことなので、おじいさんのその言葉は、いつでも思い返せるような記憶の浅瀬には残らなかったのです。
でも、くしゃみが元気でなかった日などないのは確かです。
それって、しっかり約束を守れているということですよね?
おじいさんが亡くなったと知ったとき、くしゃみには、それが他人事のように思えました。
特別な感情がなにひとつとして、沸き起こってこなかったのです。
喪失感も、悲しみも、「会っておけば良かった」という悔しさもありません。
おじいさんのちいさな畑が潰されて、住宅地になったことの方が、色々と感じることがあるくらいです。
ただ、そう思ったときにふっと、「いつかまた行こうね」と言える場所も言える山椒魚もいなくなったことに気がつきました。そして、かつてのあのおじいさんとの日々を「笑っちゃうよなぁ」と、懐かしみました。
きっと、あんなに楽しんでしまったから、今更感じることもないのかもしれません。
くしゃみは、そう思いました。
瓶のなかのにんじんを、くしゃみはただただ見つめました。
おじいさんとはじめて雪だるまをつくった日から、毎年毎年このにんじんを「鼻」として使っていました。
でも、それも今年で終わりかもしれません。
すっかり腐っていますから。
くしゃみは、今年雪が積もったら、うんと大きな雪だるまをつくってやろうと決めました。うんとうんと巨大なやつです。うーんと、うーんと巨大なやつです。
そして、その次に雪が積もるときには、自分で育てたにんじんを「鼻」にすることに決めました。
でも、成長していくにんじんに、嫉妬はするかもしれません。
だって今度は、ハナカマキリのお嬢さんが「可愛い」だなんて言うのですから。

作・絵 池田大空