『くしゃみのふつうの大冒険』#25
出会えた絵画
フカチの森の図書館には、美術館が併設していました。
常設展では、かつてフカチの森で活躍していた偉大な画家たちの作品が、素描や未完のものも含めて、167点展示されています。
また、講演会などのイベントが開催されるときには、それに合わせた企画展が開かれて、生原稿や挿絵の原画、生きものの標本に関連グッズなど、多種多様な資料が長期間展示されました。
いま開催されている企画展は、古典的名作『ハシビロコウ、どこへ行く』展です。
くしゃみは、これまで美術に興味を持ったことがありませんでした。
しかし、先日、『名探偵エリック』シリーズの第13巻『蹄の筆圧』を読んでから、すっかり絵画に魅せられていました。
この推理小説は、「『フランソワ・ハムの肖像画』を頂戴する」という怪盗ジャンボンの予告状を受け取った国立美術館から依頼を受けて、名探偵エリックがその犯罪を阻止する、という物語なのですが、この『フランソワ・ハムの肖像画』という絵画作品は、現に実在する油絵でした。それもいま、フカチの森の図書館に所蔵されており、常設展に展示されています。
くしゃみは、以前『ちいさな金魚、海に住む』や『大いなる川辺』の著者であるルイ・デ・クリュスタセの講演会に赴いた際に、企画展のついでに常設展にも足を運んだことはありましたが、そんな絵があったことなんてまったく憶えていませんでした。
きっと、見ていることには見ているのでしょうが、他の作品と一緒くたにして「絵画」としてしか見ておらず、ひとつの作品としては捉えていなかったのでしょう。
しかし、今回は違います。
くしゃみは、美術館に入るとすぐに常設展へと足を運び、『フランソワ・ハムの肖像画』を探しました。
さまざまな絵画作品の前を通り過ぎて、通り過ぎて、通り過ぎて、通り過ぎて、通り過ぎました。
しかし、目当ての1枚は見つかりません。
くしゃみは、とうとう常設展をすべて回りきってしまいました。
ここにあることは知っているのに、ここにないことがわかるなんて、まったく不思議な話です。あまりに見たい熱が強過ぎて、絵画がこちらを避けているのでしょうか。
くしゃみは、力が抜けてしまいました。そして、常設展から1度離れると、その浮遊したような意識のまま、隣の企画展内を彷徨いました。
企画展内は、ハシビロコウだらけでした。
展示されている資料はもちろん、働いている学芸員も警備員も来場客も、みんながみんな、ハシビロコウでした。
誰もが静かに動かずに、ひとつひとつの展示品をジーッと、ジーッと見つめています。
それにしても、あっちにもそっちにも、向こうにもそこにも、どこもかしこもハシビロコウで、どれが展示物かわかりません。
くしゃみは、めまいがしてきました。
すると、そんな彼を心配したハシビロコウの警備員さんが、冷たい水をコップに入れて、声をかけてきてくれました。
くしゃみは、すぐに冷たい水を飲み干すと、ふぅ〜と大きく息を吐いて、その場で横になりました。そして、蚊の鳴くような声で警備員さんに尋ねました。
「『フランソワ・ハムの肖像画』は、どちらですか?」
ハシビロコウの警備員さんは、くしゃみを『フランソワ・ハムの肖像画』のところまで連れて行ってくれました。
しかし、警備員さんが止まった場所は、企画展内に展示された知らない抽象画作品の前でした。
といっても、警備員さんが案内先を間違えたわけではありません。その作品も、一般的には確かに「フランソワ・ハムの肖像画」と呼ばれている絵画でした。
ただそれは、『フランソワ・ハムの肖像画』ではなく、フランソワ・ハムの『肖像画』でした。
つまり、くしゃみの探していた「フランソワ・ハムさんの姿を描いた肖像画」ではなく、「同姓同名の他のフランソワ・ハムさんが描いた『肖像画』という抽象画作品」だったのです。
くしゃみは、優しくしてくれたハシビロコウの警備員さんに「これじゃない」とは正直に言えず、「ありがとう」と微笑んで、そのあと15分はこの作品を眺めることにしました。
といっても、他の来場者のハシビロコウたちとはちがって、くしゃみはボーッと1点を見つめていただけなんですけれどね。
15分後、くしゃみは、ハシビロコウの警備員さんに照れくさそうに会釈をすると、最後に常設展を1周してから家に帰ることにしました。
そして、そのときになってくしゃみは初めて、『フランソワ・ハムの肖像画』を見つけました。
常設展に入ってすぐ、入り口から2番目にあったのです。
くしゃみは、動けなくなりました。
きっと、これもひとつの「喜び」なのでしょう。でも、なんと言葉にしたら良いのかわかりません。「圧倒される」でも、「衝撃を受ける」でもなく、「出会えた」といった感覚でしょうか。こんな気持ちは、初めてです。
くしゃみは、『フランソワ・ハムの肖像画』の前で3時間半立ちつづけていました。
そして、帰るときに気がつきました。常設展の入り口は、企画展内から丸見えなことを。
くしゃみは、ハシビロコウの警備員さんに見られただろう、と確信しました。そして、自分の鑑賞していた絵画が何かを知らないでいて欲しいな、と心配しました。彼の優しさ、親切心を「失敗」として終わらせたくなかったのです。
しかし、当のハシビロコウの警備員さん本人は、随分前にシフトを終えて、家でポキ丼を食べていました。温かいお吸いものも一緒です。
なので、くしゃみのことなんて見ていませんし、彼との今日の出来事だって記憶の底に沈んでいます。
自分が思っているほど、他者は自分のことを気にしていないのです。でも、警備員さんにとっての他者であるくしゃみは、警備員さんのことを気にしているのだから、それが「絶対」ともいえませんね。
ただ、警備員さんが『フランソワ・ハムの肖像画』に見惚れているくしゃみの姿を目にしたとしても、それが何の作品かなんてことは、あまり気にならないでしょう。
だって、ハシビロコウの来場客はいつだって、誰もが静かに動かずに、ひとつひとつの展示品をジーッと、ジーッと見つめていますからね。

作・絵 池田大空