『くしゃみのふつうの大冒険』#18
我慢と挙手

ある日、フカチの森の図書館で講演会が行われることになりました。
くしゃみのお気に入りの1冊、『ちいさな金魚、海に住む』の作者ルイ・デ・クリュスタセの講演会です。
講演会は、抽選によって決められた、50匹の生きものしか参加が許されていませんでした。
くしゃみは、図書館の掲示板に張り紙が出されたその日には、既に応募を済ませました。応募者第1号です。
応募用紙には、「クリュスタセ氏にどんな質問をしたいか?」という記入欄がありました。
くしゃみは、そこに「ホンソメワケベラは、他の魚の口を掃除するけれど、自分の口は一体どのように掃除をするのですか?」と書きました。
2週間後、その質問が良かったのか、講演会への当選通知が届きました。それも、クリュスタセの新著『大いなる川辺』と共にです。
くしゃみは、雄叫びをあげて、その場でピョンピョンピョンピョン飛び跳ねました。そして、興奮を落ち着けられないまま、すぐに『大いなる川辺』を読み始めて、1,200ページほどあるその本をたった1日で読み終えました。
ただ、寝る間も惜しんで読んだので、次の日のほとんどを眠って過ごしてしまったんですけれどね。
講演日当日、くしゃみが図書館に行くと、選ばれし他の生きもの49匹が集まっていました。
フカチの森の見知った顔も、遠方から来たという知らない顔もあります。
くしゃみは、受付をしました。
受付係のエビのお姉さんが、くしゃみの当選通知を確認すると、顔を上げて微笑みました。そして、くしゃみの質問がとても良かったので、講演の最後にある質疑応答の時間に挙手をすること。また、進行役から指名を受けた際には、応募用紙に書いた「ホンソメワケベラ」の質問をするように、と説明しました。
くしゃみは、「わかりました」と返事はしたものの、内心「なんてこった」と思っていました。ピョンピョンピョンピョン飛び跳ねる余裕もないくらいです。
さて、講演ですが、途中休憩を挟まずに3時間もつづきました。そして、その間にくしゃみは、激しい尿意に襲われました。入場前にはしっかりと、トイレに行ったはずなのに、机の下では内股です。
講演直前に伝えられたのですが、途中退場は許されていませんでした。それも、詳細な理由もなにもなく、頑なにです。
それでも、クリュスタセ氏の言葉を夢中で聞いて、それをノートに写していた始めの2時間は、どうにか尿意を紛らわすことができました。
しかし、質疑応答の時間に入ると、退屈も退屈。すっかり集中力は切れてしまい、再び膀胱が疼きはじめました。
というのも、どの質問も本をしっかりと読んでいればわかることや、誰かが尋ねた質問とほとんど同じ内容の繰り返しばかりだったからです。
くしゃみは、イライラしてきました。
くしゃみ以外に挙手をしている生きものは、50匹中15匹ほどいたのですが、すべての質問が陳腐です。
クリュスタセ氏に視線を向けると、どうやら彼も退屈しているようでした。
クリュスタセ氏の目が、くしゃみの目と合いました。そして、彼はコクッとひとつ、くしゃみに向けて頷きました。
くしゃみには、それが「あんたも退屈かい?退屈だよねぇ?」ということを意味しているのがわかりました。
なので、くしゃみは、ニヤッと笑ってコクッとひとつ、クリュスタセ氏に頷き返しました。
クリュスタセ氏が、ニヤッと笑います。そして、長く長く話している質問者の方へ顔を戻しました。
結局この日、くしゃみは、質問をしませんでした。「挙手をしろ」と言われたのに、しっかり挙手をしていたのに、まったく指名されなかったのです。
くしゃみは、講演が終わり、クリュスタセ氏が去っていくのを見届けると、すぐに荷物をまとめてトイレに急ぎました。
皆さんはきっと、ここでくしゃみとクリュスタセ氏が鉢合わせになる、と思うかもしれませんね。
しかし、そんなドラマチックなことは起こりません。
クリュスタセ氏は、一般に開放されているトイレではなく、図書館員専用のトイレを使うことになっているのです。
それでも、彼ら2匹が思っていることは、まったく同じことでした。
それは、「こんなにも“出している”感じのする小便は、はじめて」ということです。

作・絵 池田大空