『くしゃみのふつうの大冒険』#17
ハナカマキリのお嬢さんの恋

ハナカマキリのお嬢さんは、恋をしていました。
恋のお相手は、くしゃみの左手の人差し指に描かれたくしゃみの顔です。
最近では、お嬢さんは、自分の手のカマでくしゃみの指を傷つけないように、白い手袋をするようにもなりました。つまり、その意味を紐解くと、「くしゃみに触れたい」ということでした。
しかし、まだあまり慣れていないので、手の先から手袋が落ちそうになって、ぷらぷらぷらぷらしてしまいます。
ハナカマキリのお嬢さんは、それを少しうざったいなとも感じていましたが、その不器用さを「自分の可愛らしいところ」と思ってもらえれば良いな、とも計算していました。
といっても近頃、お嬢さんには、その「可愛らしさ」を知って欲しい相手が、くしゃみ本人なのか、それとも彼の指のくしゃみなのかがわからなくなっていました。
というのも、いつも目の前にしているのは自分と同じ背丈の指のくしゃみですが、実際に会話をしているのは指ではなく、その持ち主のくしゃみ本人だからです。
さて、ある日、ハナカマキリのお嬢さんとくしゃみは、フカチの森の北西にあるお辞儀の木を見に行くことにしました。
正真正銘、誰がどう見ても「デート」です。
くしゃみはなんとも思っていませんが、少なくともお嬢さんはそう思っています。
お辞儀の木は、その下を通る道路に沿って何本も列になっていました。
ハナカマキリのお嬢さんとくしゃみは、垂れる木の頭を見上げながら道を歩き、「本当にお辞儀をしているね」、「「お辞木」だね」、と見たことを素直につぶやきました。しかし、他に言うことは、特にありません。何の会話のないまま、10分ほど歩くとすぐにお辞儀の木の列は終わってしまいました。
ハナカマキリのお嬢さんとくしゃみは、この日の残りの時間をどのようにして過ごすか、ということに頭を抱えてしまいました。
お辞儀の木の近辺は、特に観光地化されているわけでもないので、お土産屋さんも甘味処もないのです。
そのとき、2匹が歩いてきた道のずっと向こうから、謎の生きものがやってくるのが見えました。
くしゃみは、ハナカマキリのお嬢さんを両手で包むと、走って茂みの後ろに隠れました。
そして、お嬢さんを頭の上に乗せると、たまたまそこにいたイモムシくんも一緒になって、みんなでその謎の生きものを観察しました。
くしゃみは、この自分が新種の生きものを発見してしまったことに、とてもドキドキしていました。そして、「第1発見者である自分に命名する権利があるのなら、こいつに一体どんな名前をつけようかしら」と、とてもワクワクしていました。もしかするとこれは、表彰ものかもしれません。
ハナカマキリのお嬢さんはといえば、まったく別の理由でドキドキしていました。
くしゃみの両手に包まれたとき、自分が恋をしているのは、くしゃみの指のくしゃみではなく、くしゃみ本人であることに気がついてしまったのです。
新種の生きものどころではありません。体温が急上昇しています。ときめきが急上昇しています。
くしゃみは、頭の上が先ほどよりも熱くなったことに気がついて、ハナカマキリのお嬢さんに「大丈夫?」と声をかけました。
しかし、いまのお嬢さんには、返事なんてできません。顔を背けて、ちいさく頷くだけで精一杯です。
そんな2匹の様子を見て、イモムシくんがニヤついています。
そうこうしているうちに、謎の生きものは、お辞儀の木の道から去っていきました。
くしゃみは、あとを追いかけることも考えましたが、ひとまず5分ほどの距離にあるフカチの森のラジオ局「海鳥電書」に向かうことにしました。科学特捜研究所への連絡も兼ねて、フカチの森に新種の生きものがうろついていることを知らせておこうと思ったのです。もちろん、自分が発見したことを強調して。
くしゃみは、ハナカマキリのお嬢さんを両手に抱き上げると、ラジオ局へ向かいました。
お嬢さんは、落ちないようにとくしゃみの胸に寄せられて、「もうどうにでもなってしまえ」と思いました。
くしゃみの鼓動が、ちいさな体に響きます。
なんだかとても落ち着きます。
くしゃみがラジオ局に着くまでに、ハナカマキリのお嬢さんは、彼の温かい胸の中ですっかり眠ってしまいました。
くしゃみが持ち込んだ「新種発見」の緊急速報で、ラジオ局は大騒ぎになりました。
くしゃみは、ラジオ局の発案で「新種生物」についてのインタビューを生放送で受けることになりました。しかし、科学特捜研究所からの「どこまで放送して良いのか」という情報公開に関する制限の確認があるので、まだまだ待つことになりそうです。
くしゃみは、ラジオ局の待合室にある椅子に腰をかけると、てのひらの中で眠るハナカマキリのお嬢さんを見つめました。
すやすや寝息が聞こえてきます。
たまにグッとイビキが出ます。
モニャモニャ寝言を言っています。
そんなお嬢さんを見ていたら、くしゃみもだんだんウトウトしてきて、彼女が目を覚ます頃には、もうすっかり眠ってしまっていました。
ハナカマキリのお嬢さんは、恋のお相手の寝顔を目にして、「こんな顔して眠るんだ」と、なんだか勝った気になりました。そして、「こんなに大きな鼻提灯、見たことない」と、つついて割りたい衝動を抑えました。
彼女が、くしゃみに寝姿を見られていた事実を知るのは、まだまだずっと先のことで、2匹が恋人同士になってからでした。
いまはまだ、そんなことになるなんて知らずに、そんなことになっている妄想に耽っています。
これから少しずつ、手袋にも慣れなくてはならなそうですね。

作・絵 池田大空