異国情緒、私の風景

 この皮膚のどこを切り出したら、あなたに私のことを紹介できるだろうか。

 私に宿る数多の手触り、境目のない体温からまずどれかひとつを選び取って初対面のあなたに手渡さなければならない、その瞬間にいつまで経っても緊張する。緩やかに繋いで生きているこの私をばつっと裁断することなどできないと知っていて、しかしそれでもどうにか切り出した欠片。恐る恐る手渡したそれがまるで私のすべてであるかのように歩き、踊り、あなたの体温で花開いたり腐ったりする、その様は非常に恐ろしく、痛く、そして驚いたことに美しかったりするので、私はいつも私とあなたの間にある果てしない遠さと近さに呆然とし続けている。...…私の自己紹介は近年ますます迷子を極めるばかりだ。

 はじめまして。折角こうして機会があるのだから、ここでは欠片を無理に生み出す前に、書き始めてみようと思う。


 夜中、眠れなくて開いたメモアプリの中に昨年の私がいる。

 「私から渡すことは怖くてできないというのに、誰かから無条件にもらいたい。渦巻きから抜け出しやっと掴んだこの安寧の地にいつまでも留まっていたい私は、しかし、困ったことに飽き性なのだ」。ひとりでいることで安定し、凪ぎ、澄み渡る反面、そのことにどうしようもなく退屈している私を、まだ見ぬあなたに会いたいと願う私を、私は持て余していた。梅雨時に書かれたこの文章は、湿度を含んで曇るその時期の空の閉塞感を直で受け取り素直に揺らぎまくった自律神経そのものみたいで、ちょっと愛しい。

 この時の私は確かにこのメモアプリの中でいつまでも切実だというのに、今、それを少し離れたところから眺めている。もう自分の外側に行ってしまったようにも見える当時の切実さは、実際のところ、紛うことなく私の血肉になっていると知っていた。誰かに何かを渡すことは怖い、その朧げで鮮明な輪郭はわざわざ切り離して言葉にしなくても、もうずっと私の指先に、睫毛の先に、足の付け根に生きていて、自己紹介で緊張する時はそういう、そういう部分が居場所を探すように動き出す。私に捕らえられることを拒み、しかし捕らえられたいと願う疼きと芽吹き。

 消去できない切実なメモが数十件、異国の地から届いた手紙を開けるように読み返す。そこに使われている言葉はどれも今の私の皮膚に溶けて生き続けているものばかりだから、やっぱり私は愛しく思う。こんな私を見たならば、君は心底怒るだろうなァ。何を呑気に眺めているんだそんな所から、分かったような顔をして!……ごめんね、でも君と私はよくやってきたし、ありがとう、この先も相変わらずやっていくんだと思うんだよ。そうありたいと思っているんだよ。まだ見ぬ国を探しながら、今いる場所を異国にして。

Quang LeによるPixabayからの画像

 文章を書いている。緊張しながら、それでも書いている。あまつさえそれを公開しようとしている。私から切り出した言葉は決して私のすべてではないが、同時に、どうしようもなく、私のすべてでもある。……嗚呼怖い、こんなに怖いことがあろうか!

 しかし言葉を重ねた先に曖昧で緩やかな私の体温が零れゆくことがあるなら、そしてもし何かの拍子にこの世界の誰かに――歩みを止めることで前に進んでいたあなたに届くことがあるのなら、そんな瞬間があるのなら、その瞬間がどうか柔らかであるようにと祈ります。祈るように書きます。いつの日か、この場所が、果てない遠さと近さの宿る懐かしき異国の地となったらいい。どうぞよろしくお願いしますね。

菅藤絢乃

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください