ひなたの「はじめに」
ゆっくりとしか、歩けなくなる時があります。
それは本当にゆっくりと、一歩ずつ、その足の動きを、重さを、感じ取りながら。
もうちょっと早く歩きたいなあと思っても、身体が言うことを聞かないんです。
それは例えば
バイトでくったくたになった夜
大学で朝から晩まで勉強した帰り道
素敵な演劇に出会って、劇場を後にした時。
私の身体はまるで私じゃないみたいな顔をして、のそのそと歩くのです。
あ、申し遅れました。kikusuku編集長のひなたと言います。
私、「歩く」という行為が苦手です。歩き方に変なクセがあるらしく、いわゆる“理想”の“正しい”歩き方、というものとは程遠いんですって。内股で、すり足で。おかげで毎日足はパンパンです。
でもね、歩くことそれ自体は好きなんです。特に知らない街を歩くのなんてもうウキウキしちゃいます。カメラ片手に歩くのはもっと最高。それまで見えていなかった、気づきもしなかった世界に出会うことができるから。
最近なんとか自分の歩き方を変えたいなあと思って、YouTubeの解説動画を見てみたり、まとめ記事を読んでみたりしています。でも結局自分の歩き方って、外側から見ることができなくて。自分じゃ自分の姿を直に見ることはできない。
だからよく分からないんです。「これで合ってるのかな?」と思いながら歩いてみるのだけれど、誰も答え合わせはしてくれない。
あれ、私は何を目指して歩き方を変えようとしているのでしょう。
そもそも私に「正しい歩き方」をすることは可能なんだろうか。
え、「正しい歩き方」って、なんだろう。
分からないことだらけでも
「歩く」という行為は、常に私につきまとってきます。
私は、歩くことから逃れられない。
だから、考えてみるんです。考えて、試して、ああでもないこうでもないと思いながら、時に考えるのも止めて、でもやっぱり気になって、
そんなことをしていると
ふと
自分の身体の動きを敏感に感じている自分に気付きます。
なんとなく、私の身体が、私に教えてくれるような気がしてくるんです。
「今、ここの筋肉を使えてるよ」「気を抜いたらすぐ元に戻っちゃうね」
もしかすると、私の身体は全部分かっているのかもしれません。私に合った歩き方も、筋肉の使い方も、力の抜き方も。
でも、私はそれをなかなか掴み切れなくて
だからやっぱり、歩くのが下手なのだと思います。
それでも私は、歩くのが好きです。
好きになる理由より、嫌いになる理由の方がよっぽど多いのだろうけど
私は、歩くのが好きです。
だから、へたっぴはへたっぴなりに、歩いていようと思うのです。下手だろうが上手だろうが、歩くことはできるから。
へたっぴにはへたっぴなりの、歩き方がある。
私の歩き方がどう変わっていくのか、あるいは変わっていかないのか、
どちらでもいい、ただ、
向き合って、考えて、試して、休んで、
その繰り返しを、ちょっとずつ、積み重ねていこうと思っています。
いつか後ろを振り返った時、そこにはどんな足跡があるのでしょうか。
どんな道が伸びていて、どんな景色が広がっているのでしょうか。
分からないから、わくわくしますね。
さて、こんな編集長ですが、kikusukuという場所と共に歩んでみようと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。
ひなた
この記事を書いたのは・・・
kikusuku編集長のひなたです。演劇とテレビドラマと甘いものと寝ることが好き。立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻・博士前期課程修了。