ドラマと共に
私と「テレビドラマ」との出会いは、もう覚えていない。
気がついた時には生活の一部にテレビがあって、ドラマがあった。頭の中には「毎週何曜日の何時何分〜何チャンネルで、どんなドラマが放送されるのか」が全て入っていて、深夜ドラマを含めてまず第1話をチェックするのが習慣になっていた(そこから継続視聴するドラマが選抜されていく)。
きっと環境も大きいのだろう。私の両親の共通の趣味は「テレビを見ること」で、とりわけ「ドラマ鑑賞」だった。ドラマを観る習慣も、録画しておくことも、録画がどんどん溜まっていくことも、両親の影響なしには「当たり前」にならなかったかもしれない。
ドラマっ子だった私は、運動音痴も相まって「アンチ・テレビのスポーツ中継」な子どもだったのも懐かしい。スポーツ中継の度に、ドラマの放送が一週休みになったり、時間が遅れたり(その結果、録画に失敗したり)することが嫌で仕方なかったのだ。そんな私を余所に、両親はスポーツ中継を喜んで観ていたわけだけれど。
連続テレビドラマは、多くの場合3ヶ月を1クールとして、最近は1クール10話前後で制作されている。つまり、私たちは3ヶ月ごとに幾つものドラマとお別れをし、また新しいドラマたちに「出会う」のである。改めて考えてみると、それはもの凄いことではないか。
1つの作品に出会うだけでも凄いことなのに、それも大量に、3ヶ月毎という頻度で、私たちは「出会う」。そして1つのドラマに出会う度、私たちは多くの登場人物たちとも「出会って」いる。実際に会ったことも話したこともない、そもそも実在もしない人間のことを、時に同志のように感じたり、共に涙を流したりするのだ。毎週決まった曜日・時間に会うことができる彼らは、確実に私の生活の一部となっていく。たった3ヶ月でお別れしてしまうとしても、数日後数ヶ月後数年後に、ふとその顔を思い出すことがある。最早、私の中で彼らは「存在」しているとも言えるだろう。実在しているかどうか、なんて問いは野暮なのだ。私の人生は、いつだってテレビドラマと共にあったし、これからもそうあり続けるのだと思う。
私にとって何よりの幸運は「テレビドラマを観る習慣」との出会いだったのかもしれない。
kikusuku編集長のひなたです。演劇とテレビドラマと甘いものと寝ることが好き。立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻・博士前期課程修了。