映身展とぼく。
映身展。
それは僕の大学生活の中でかなり大きな出来事だった。
なぜならここで僕は、
僕の作品を見る人たちのことを意識するようになったからだ。
まず映身展について2019年の公式サイトから引用する。
映身展は、立教大学 現代心理学部映像身体学科(通称:映身)に所属する学生有志によるプロジェクトです。
映像・写真・演劇・舞踊・文芸・インスタレーションなど、現役映身生が制作した作品を学外に向けて発信することを主な目的としています。
授業で作った課題の映像、または趣味でつくったモーショングラフィックス、
あるいはサークルでチームとなって作った合作。
そういった1年の間に生まれたさまざまな作品が集まって、
人々の目に触れる空間。
それが映身展だった。
このプロジェクトを当時僕は1年の6月ごろに知った。
まだ何の作品も作っていない時期だった。
それでも僕は参加することに決めた。
僕は当時池袋の映像制作サークルに通っていた。
ひとりで映身展に出すのは心細かったので、
そこにいた人たちと一緒に作品を作ることにした。
しかし、池袋キャンパスと新座キャンパスという物理的な距離が
僕らをゆっくりと引き離していった。
LINEの文面だけでしか行われないディスカッション。
そして文面だけのディスカッションは
大抵ディスカッションのディにも満たない内に終わってしまう。
そんな僕らが作品を作れるわけもなく、あえなく僕らは空中分解した。
結局僕は映画を作った。
沢山のメンバーがいたけど
結局1人で作品を作った。
今思うと僕のせいだった気がする。
なぜなら僕は1人で作品を作ることに全く抵抗がなかったからだ。
そしてそれは基本これまでも1人で作品を作ってきていたからだ。
小学校の頃の漫画も、中学校の頃の勝手なMVも、
高校の頃のYouTube動画も全部1人でやっていた。
自分の考えを表現するのだから、自分1人がやるのは当然だと思っていた僕は、
そのまま1年目の映身展本番を迎えることになった。
〈1作目の映画の撮影現場〉
僕の作品は信じられないほど多くの人の目に触れた。
それまで僕の作品を見ていた人は、少なくとも僕が知っている人だった。
家族や、友達や、僕自身だった。
しかし、映身展では名前も知らない、会ったこともない人が、
たくさん僕の作品を見ていた。
そして映身展では、教授の講評もあった。
映像について学生に教えている人たち、
要は映像表現の答えみたいなものを知っている人に、
僕の作品は見られた。
その結果、当然ながら今までにないほどの反響をもらった。
面白かったという意見もありとても嬉しかった。
何より当日スクリーンに座った人が笑っているのを見て、
僕はこれまでにないほど嬉しく思っていた。
しかしこんな意見があった。
『これは映画ではない』
今ならその先を注意深く読み進めるだろう。そしてその人はどうすれば映画だと思ってくれるかを考えるだろう。ただ当時の僕は衝撃の思考に至った。
「いや僕が映画だって言ってるから映画なのに、その前提を否定してしまったらおしまいだ!」と
本当に今考えるだけで恐ろしい。
僕は『自分が映画だと思っているから』という理屈で
この作品が映画だと本気で思っていたのだ。
今まで、僕が見せた人たちは全員僕が知っている人だった。
もっと言えば僕の作品の背景やら事情やらを知っている人ばかりだった。
これはマモルが1人で全部作った作品だと知っている。
だからよく作り切った。すごいMVだ、すごい作品だ、となる。
今までの肯定的な反響ももちろん大切だ。
だけどそれだけじゃなかった。
映画ではないと言ってくれたあのひとの反響も
おんなじくらいに大切で、ほんとなのだ。
僕はこのとき初めて自分の作品を見る人たちのことを
ほんとの意味で認識した。
どんな人でも僕の作品を見ることができる。
それは僕のことを知らない人でも。
そして、この世にある素晴らしい映像作品をいくつも見てきた目を持った人でも。だからこそ、僕は死ぬ気で作品を作らなければならないと思った。
1人で作ったからという言葉をどこか免罪符にして、作品のクオリティから逃げていた。
1人で作れないのであれば、死ぬ気で仲間を集めなければならない。
それができなければ、来年このプロジェクトに出展する資格はない。
そんなことさえ思うほどにこの映身展は僕に影響を与えた。
2020年2月
あれから1年が過ぎ、僕は2度目となる映身展の会場にいた。
再び映画を上映するために参加していた。
映画はその後大学で出会った素晴らしい仲間と共に作り上げた。
その当時の本気の作品だった。
照明も借りて、美術センス0だったので美術担当の役職も設け、
しっかりと空間を作り込んだ。
〈2作目の映画の撮影現場〉photo by @ki_to_huyu
上映会では前作を超える人数が集まった。
映像身体学科に興味を持った高校生の人にも見てもらった。
軽音サークルで知り合った別の学科の人たちにも見てもらった。
去年を超える反響があった。
少々話は脱線するが、僕の作品は大衆性を狙ったコメディが特徴であり、
そういった作品を作る人たちは僕の周りにはいなかった。
だからこそ映身展でそれを上映することで、
この学科ではこんな作品も作ってもいいんだと思ってもらいたかった。
本作への反響の一つに、「映身展の新しい扉を間違いなく開いたと思う」というものがあって、今でも記憶に残っている。
そして今年も例によって教授の講評があった。
2人ともやはり手厳しく、今度は長すぎるとコメントされた。
しかし、去年と違うのは映画であるか否かの前提を否定することはなかったということだ。つまらなくても映画としてはスタートラインに立てたらしく、僕はホッとした。
その後コロナが僕たちを襲った。
結局映身展は在学中に開催されることはなかった。
それでも僕は心のどこかで常に映身展を意識していた。
知らない誰かが見るということ、その原点には映身展での体験がある。
だから、作品を受け取る相手を意識するということは、
僕にとって映身展を意識するということにどうしてもなってしまう。
僕は今でも、何かを作るときにはいつでも映身展を少し思い出す。
そして今年、2023年2月3日〜5日
実に3年振りに映身展が開催される。
僕は見に行こうと思う。
それは映身の最先端が映身展であるように思うからだ。
今や僕も大学の外側の人間になった。あのころ大学の中がわからなかった
中高生と同じく、もう僕にも今の映身はどうなっているかわからない。
あれから3年。
僕みたいにコメディ映画を作っている人はいるのか?
大学で彼らはどんな衝動に駆られたのか。
アフターコロナになった今何を伝えたいと思ったのか。
それを知ることができるのはここしかない。
そんなことを思いながら、僕は楽しみに当日を待っているのだった。