「愛」についてのいくつかの覚書き
みなさんごきげんよう。あけましておめでとうございます。
2023年にミワが書く1本目の記事です。
今年の目標の1つ「言葉を尽くす」こと。
わたし、すぐに諦めてしまうんです。
「仕方ない」と片付けてしまう。
向き合わないのは失礼な話なので、もっとちゃんと向き合って、話し合うべきだなと思いまして、今年は頑張りたいです。
1つ言葉にできたことがあります。
「愛」ってなんでしょう。
「吐いたものを片付けられること」と言われました。
たしかに。
ごめんけど、わたしはそういうものが苦手で、人体のなにかを見てしまうと(模型でも説明文でもなんでも)身体中の力が抜けてしまうのです。
愛があってギリギリかも。
とか言いつつ、わたし「愛」が分かりません。
愛をあげるのは得意です。
好きな人たちに、わたしまるごとあげられます。
愛の受け取り方が分からないのです。
愛をあげるのも、得意というわけでもないのかもしれません。
愛がボールの形をしているとしたら、持っているボールを手当たり次第に投げているんだと思います。
1つ投げて、「これじゃなかった?じゃあこっち!」ってまた投げて、投げて、
「こっち?!」「分かんないけどこれ?!」「ねぇ!好きだよ!」「こっち向いてよ!!」「好き〜!!!!!!!!」
と投げ続けている感じなんだと思います。
こんなに投げても、受け取ってもらえたらラッキーで、全部相手の足元に転がっていたり、投げ返されちゃったり。
受け取る方はもっと酷くて。
たくさんのボールをもらってもどうしたらいいか分からないから、
抱えられるだけ抱えておいて「ありがとう」って言いながら、全部ボールを落としちゃう。
投げるのも、受け取るのも不器用なのは、明らかにわたしの今までの人生のせいなんですけれど。
今年は「愛」ってなにかしら?という考えごとから始まりました。
ゆっくり学んでいきたいと思います。
おみくじは吉でした。
吉って大吉の次なんですって、知っていました?
着実に進めていきたい今年。
どうぞ、今年もよろしくお願いします。
みなさんの愛についても教えてね。
またね
ミワ
kikusukuライターのミワです。
お芝居と喫茶店が好きな、ハスキーボイスの舞台人。
そこそこのまともさと、たまの異常さを買われて、東のボルゾイという劇団にいます。
岡崎京子さんと吉澤嘉代子さんの描く“特別なおんなの子”になりたい。