「好き」っていう感情って何だろう
「好き」っていう感情って何だろうっていうことを最近考えるようになった。というのも、前に自分が思っていた「好き」についての考え方が、どうも違うんじゃないかということに気づき始めたからだ。ここで言っている「好き」は恋愛に限った話ではないので悪しからず。
価値観って大事?
前は同じ趣味を持っているとか、育ってきた環境が似ているとか、考え方が近いとか、共感できることが多いとか、要は「価値観が合う」ことが一番重要だと思っていた。もちろん、価値観がぴったり一緒なんて人はいないけれど、僕が今まで親しくしてきた人の多くは価値観が合うのだと思う。でも実は、それは「好き」の必要条件でも十分条件でもない。
最近、こんなことをいうのもよくないけれど、同じ趣味を持っていて、育ってきた環境が似ていて、考え方も近い、なのにどうも会話が続かない、テンポがあわない、二人きりになるととても気まずいと思ってしまうようなことがあった。その人とは何度もあっているけれど関係性はあまり変わっていない。
それでよく考えてみると過去にもそういうことはあった。特に趣味が同じっていうのはあんまり重要じゃない。趣味が同じだけど、趣味の話題を話していても微妙にかみ合わない。そして趣味の話題以外では全く話せなくなる人がいる。
好きだから好き
逆に趣味も育ってきた環境も考え方もだいぶ違うのに、それでもなんとなくこの人は好きだなって感じることもある。自分の価値観に照らせば、決して相容れないような人がなんとなく好きみたいなこともよくあってそういう友達は、とても大事だなと思う。
好きの理由なんて究極的には「好きだから好き」としか言えないんじゃないかとすら思う。
もちろん色々理由付けすることは可能なんだけど、それは直感的で感情的な働きから生じる「好き」をあまり説明してくれない感じがする。あえて言うならその人がまとっているオーラに心が引き寄せられているというのが近い。好きなことも育ってきた環境も価値観も全然違うのに、それでも好きでいられることってものすごく、尊いことであるように思える。それはロマンチックなものでもあると思う。
困難な恋愛ほど美しいのか?
一方で、やっぱり特に恋人関係においては価値観が一致していることは自分にとっては重要なんだとも感じている。僕の身の回りで、相手のことは好きだけど、価値観が合わないがために苦労しているという人を何度も見ているから。ある人は別れたいのに好きだから別れられないと言っていた。それでも一緒にいるのはロマンチックなのかもしれないけれど、「好き」はその人にとっての「呪い」にもなりうるものだと思う。
考えてみれば、人生で一番好きだった相手やロマンチックな恋愛は、パートナーとしてはふさわしくなかったという恋愛映画はよくある。『ラ・ラ・ランド』も、『ちょっと思い出しただけ』も、『シンエヴァンゲリオン劇場版:||』もそうだ。映画の中の恋愛は、「困難な恋愛ほど美しい」という価値観を前提にしている。
僕は正直恋愛でそういう類の苦しさを極力避けたいと思ってしまうし、そこまでロマンチックな恋ができなくてもいいから価値観が合う人と一緒にいたいと思っている。これはあくまで僕の考えで、「困難な恋愛ほど美しい」という人もいるのだろう。
「好き」との向き合い方
話がとっ散らかってしまったけど、僕が最終的に思ったのは、長く深く付き合っていくなら友人関係でも恋人関係でも価値観は重要なものになってくるけれど、それと「好き」って感情は全く別のレイヤーの話だということだ。「好き」は「好きだから好き」としか言えないような強い感情だ。「好き」は尊くてロマンチックだけど、それだけに絶対の価値を置くことを僕はよしとしない。でも実際好きになってしまったら、いくら価値観が合わないと自覚していても、その感情には抗えないのかもしれない。そうも思う。
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