続いても続かなくても
人の結婚の知らせを聞くのが好きだ。
自分の力が全く及ばない世界の局面で、誰かと誰かがお互いに必要とし合って他人同士から家族になる。
そのことに何だか心から安堵して、幸福な気持ちになるのは何故なんだろう。年長者の方々が我々に結婚を勧めてくるのも、そういう1つの「安堵」が自分の去り行くこれから先の未来にもあってほしい、という祈りみたいな気持ちが根っこにあるのかもしれない。
そんな調子で結婚やパートナーシップの締結は ”恋愛における最上級の成就” というニュアンスで語られがちだが、私にはその言説とは別にもう1つ、胸の中に抱えた大切なものさしがある。
それは「人間誰しも『その時に必要な縁』を持つことがある」という考えだ。
これは私が学生時代とても尊敬していた仕事場の上司が教えてくれたキーワードで、それまで私の中にあった「短命な恋愛=不幸」「末長い恋愛=幸福」というステレオタイプをブチ破るきっかけになった言葉だ。
当時、上司と私の共通の知り合いで、すごく円満な交際をしていたふたりがお別れをした。
ふたりは周りと比べたり見栄を張ったりせず、お互いを尊重し合っていて、正直私はどこまでも無責任に「いつかこの2人が結婚してくれないかな」と思っていた。もっと言えば私だけではなく周りも思っていたし、それは十分すぎるほどにふたりに伝わっていたと思う。
上司とのふとした会話で別れた彼らの話題になり、何の考えもなく「もったいないですよね」と言った私を、上司は
「でも、『その時に必要な縁』ってあると思うんだよね」
と言って諭してくれた。
「あのふたり、付き合う前はお互い大変なことがあって弱ってたけど、一緒になってから明らかに表情が明るくなったし、周りに優しくできるようになったじゃない。
別れてからもそう。だったら、一緒にいることが出来なくなっただけで、それぞれの人生にとってはプラスだったと思うんだよね~」
それを聞いて私は、さっきまでの自分を本当に恥じた。
誰かの結婚の話を聞いて嬉しくなるのと表裏一体で、誰かの破局の話を聞くと外野の私たちは色んなことを勝手に思ってしまう。
「もったいない」「残念」「式の余興はドジョウすくいで決めてたのに」「もっと上手く行ってるんだと思ってた」……。
こういう声の裏側には、「なんとか頑張って関係を繋ぎとめておけば結婚(=成功)できたのにわざわざ破局(=失敗)するなんて」というニュアンスが含まれている。
でも実際は周りがそんなことわざわざ言わなくたって、とっくの昔に当事者は散々「頑張って」みた上で、やっぱり別れるしかなかったから別れたんだろう。
恋愛にはいろんな姿かたちがあると思うけれど、
「その時その相手からしか得ることの出来ないエネルギー」と、
「その時の自分からしか与えることの出来ないエネルギー」を
交換し合うことが恋愛関係の一つの形だとすれば、交際期間が10年だろうと10分だろうとそこには意味があるんじゃないか。
「その時に必要な縁」はこういう意味を以って私に響いた言葉だった。
いきなり個人的な話で恐縮なのだけれど、私は過去に一度だけいわゆる破局を経験したことがある。
その時は「自分がこれまで相手に抱いた気持ちとか、関係を修復しようとあれこれ考えた時間は全部ドブに浸かって、自分にとっても相手にとってもゴミになってしまったんだ……」と本気で思ったし、それが情けなくて悲しくて「今すぐ私なんざ体内で何らかの化学反応を起こして粉々に爆散してくれ」と人生で初めて願った。
あの時、この言葉を知っていたらどれだけ救われただろうと思う。
少なくとも「やっぱり爆発はいやかも」とは思ったんじゃないだろうか。
関係が続いたって続かなくなって、あの人との時間は私にとって「その時に必要な縁」だったんだ。
そう思って諸々のしがらみからちょっと楽になってくれる人が増えてくれると、すごく嬉しい。
私たちはきっとこれからも色んな縁とすれ違い、手を取り合ったり取り合わなかったりしながら、ずんずん前に進んでどこまでも最高になっていくのだ。
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