塗り替えていくこと
出会った頃はあんなに良かった気がするのに。
記憶が何度も塗り替わった先でカピカピになってしまって、うまく思い出せない。
どうでもいいことのように思えてきたりもする。
塗り替えられた層の下の下。
あれは確かにあったのか?
もうすっかり消えてしまったのか?まだ奥の方に残っているのか?
あーちゃんはすっかりぼけたそうだ。
私の記憶になる前からあーちゃんはあーちゃんだった。
「おばあちゃん」って呼ばれるのが嫌で、寿子さんはあーちゃんになったらしい。
すっかりぼけたあーちゃんは元気にゴミを漁り出して壁に貼り付けては、施設の人を困らせているらしい。折り紙や写真はまだしもゴミは確かに嫌がられるかもね。
でも、壁を後ろにピースするあーちゃんの写真はしあわせそうで、私にはとってもかっこよく見えた。
あーちゃんが施設に入ってから一人暮らしをしていたじっちゃんも最近病気がちになったらしい。感情のコントロールが難しくて毎日自分と戦ってるんだって。
最近みた写真のじっちゃんは悲しそうな表情をしているものもあるけれど、私と電話しているじっちゃんを収めた写真はしあわせそうな顔をしていた。
脳の手術をしたじっちゃんの髪の毛はところどころ禿げていて、表情もすっかりおじいちゃんという感じだ。
私が小学生のとき、私の習い事についてきてくれたじっちゃんはそこにいた人に「お父さんですか?」と聞かれたことを本当に嬉しそうにしていた。
思い出して涙が出てきたな。
じっちゃんの奥の方にも残っているだろうか?
久々にじっちゃんに会いにいく。
塗り替えていくことはやっぱり怖い。
たくさんの記憶を置いていく、そんなところに辿り着けたらどんな気分だろうか。