「優しいあなたに恋してた」第4話
あれから7日
僕は仕事上の付き合いで10歳ほど年上の上司と飲むことになった。
与田さんは早々に帰宅したので、細井さんとサシで恵比寿のバーで2次会をしている。
細井さんは凄腕の上司だ。
だからこそ誰かに常に指示を出さないといけないと思い込んでいる節がある。
特に僕は先日考えられないミスをした。
だから目下細井さんは僕を何が何でもできる人材に導かなければならない。
そのため今週になって実に3回目の細井さんとのサシ飲み会が開かれているわけだ。
前回、前々回、僕は自分がどんな人生を送ってきて、どうなりたいか、
なんのためにこの会社に入ったかをプレゼンするよう細井さんに言われた。
しかし熱くプレゼンをすればするほど細井さんのリアクションは信じられないほどクールで冷静になっていった。
この前なんて
「ぬるま湯で生きてきたってことね」とボソッと口にしたと思ったら、
そこから30分間何も話してくれなかった。30分して僕が立ち上がったところで
「帰っていいって言ってないけど」
とようやく口を開いてくれた。
与田さんは理詰めで僕を叱ってくれるが、
細井さんはどこか口数が少なく、
最短距離で核心をつくような人だった。
そして今3回目。
また長い沈黙が2人を襲っているところだった。
するとLINEの着信音が鳴った。
僕は若干動作に余裕を持たせて、ゆっくりとポッケからスマホを引き抜いた。なつみちゃんから返信が来ていた。
「牧野くん。連絡ありがとう。
すごい嬉しかったし、本当に何も言えず辞めちゃってごめんね。
同期のみんなにも申し訳ないし、ちゃんと理由を話さないとなとも思ったんだけど、
どんどん時間が経っちゃって、どんどん話し辛くなっちゃった…ごめんなさい。
みんなにもしも会った時は伝えてくれると嬉しいな。なんかごめんね。
謝ってばっかで言葉も上手く伝えられなくて、でも牧野くんに声かけてもらってすごい嬉しかった。
会社は辞めちゃったけど、もしよかったらまた遊んだり一緒に仮面ライダーの映画とか見に行きたいな。
本当にありがとう…😭」
「長文だな」
細井さんが新しいグラスを一口飲み僕を見ていた。
「あ、すみません……」
「別にいいけど」
「牧野の好きな人?」
「いや別に……」
「あ、もしかしてそれで最近やらかしてたの?」
「いや……」
「それは普通に話したほうが良くない?
それで今おかしくなってんなら」
まずい完全に変なスイッチが入ってしまった。
しかも向こうの言ってることは正しい。
「まぁ……端的に言うなら、
相手の方は今ちょっと余裕がないんですけど、
それでも僕は大好きで……で、なんとかできることはないかなって思って、手探りでやってるんですけど……
それで僕自身も悩んじゃってるって感じで……」
「付き合ってんの?」
「いや」
「遊んだりしたのは?」
「えーっと……2ヶ月くらい前ですかね」
「あー2ヶ月か……で今LINEきたの?」
「あーまぁはい……」
「どんな?」
「んー……まぁありがとう、また遊ぼうって」
「んー……」
そう言うと細井さんは黙ってチョコレートでコーティングされたオレンジピールを黙々と食べ出してしまった。
そしてグラスを飲み干してこう言った。
「牧野。お前さ、それ使われてんぞ」
何を言ってるかよくわからなかった。
「どういうことですか?」
「その子お前のこと、超都合がいい遊び相手としか思ってないよ」
そんなことを言われる筋合いはなかったし、
なつみちゃんを見て想像するイメージからは何もかもがかけ離れていた。
思慮深いし、いつも気を遣ってくれるし、笑ってくれる。とにかくなつみちゃんは優しいのだ。
細井さんが言っている悪女のようなキャラとは正反対だ。
「そんなことないですよ、だって……」
「ん?」
「あの人はすっごい優しいんです……優しすぎて、色んな人のことを考えすぎて、苦しそうなくらいなんです……それなのに、なんでそんなことわかるんですか?」
「本当にお前のことが少しでも好きなら2ヶ月も連絡してこないなんてないだろ。お前が連絡しなかったら4ヶ月、半年だったかもしれない。だからお前には興味ないんだよ」
「そんなこと……ないですよ。ちゃんとこっちから話せば……返してくれますよ。嫌われてたらそういうの既読無視とかされるじゃないですか。そこまではいってないですよ」
「そりゃそうだ。だってお前には嫌われたくないんだもん。逆に考えてみろって。お前はお前のことを好きだと言ってくれた人を突き放すか?」
「いや……好きじゃなかったら……ちゃんと言いますよ……そういう気持ちはないって……突き放すとかそこまでじゃないですけど……」
「それやられてんじゃないの?」
「……」
「まぁさ……いいけどね。それでいいならそれで」
そう言うと細井さんはタバコをつけてふわっとした顔で煙を吐いた。吸い殻が灰皿に落ちていく。
何か自分が見ていた景色がガラッと変わってしまった気がする。
正確にはすごく綺麗だったものが全然綺麗じゃなかったんだよと言われたみたいに。
雪のようなものが上から降っている景色だった。
でも上を見るとそれは雪ではなくタバコの灰だった。
灰がシンシンと降っているようだった。
そんなことない……なつみちゃんは……優しい。
優しい?
優しいってなんだっけ。
「ユウくん次いつ帰ってくる?どっかのタイミングで
豚肉使っちゃいたくて。」
LINEを送ったはいいけど、5日前に送ったその上のLINEにも既読がついていない所を見ると、相当ユウくんは今忙しいんだろうなと思う。
早くこの前話した先方の激ヤバ仕事できないマン
牧野についてユウくんと話したいのに。
想像以上に仕事できなかったよと盛り上がりたいのに。
肝心のユウくんが帰ってこないから、ただ私が化粧水をかけられたままで終わってしまっている。
許せん。この怒りをなにか別のことにぶち当てたい。
そうだった。そう思って私は豚肉のステーキを買ったんだ。
そしてその豚肉が意外にも冷凍庫を圧迫していることに気づき、気づいてしまったが故に早く処理したくなってしまい、ユウくんにLINEをした現在に至るんだ。ユウくんがこんなに家を空けるなんて聞いていない。だから私の色々な部分で計算が狂い始めている。ユウくんが帰ってくると思ったからこの豚肉を買ったんだけどな……。
それでも私はそんな不満は一切こぼさない。
なぜなら私は大好きなユウくんを支えないといけないからだ。
とりあえず「今日も頑張って👍」というLINEを送り、
私はポテトチップスを食べながらテレビをつけた。
テレビでは金曜ロードショーがやってて、
ちょうど始まったばかりだった。
ここから2時間も付き合うことはできないと思い、
最初のコマーシャルまでは見ようと思い見始めたが思いのほか面白く引き込まれてしまった。
話はよくある恋愛映画だったけど、学生や高校生の恋愛ではなく社会人の恋愛を描いていた。
さらに面白かったのは彼らが1年目で付き合い始め3年目で別れるまでの2年間を2時間で描いていたのだ。
はじめから見られたことが幸いしたのか、2人のカップルの立場や考えがどんどん自然に変化する様が面白かった。
そしてわかると思う部分もあれば、そうなんだ、と思う部分もあって、中盤までは結構面白く見られた。
ただ、終盤にいくにつれてどんどん理解できない展開が目白押しになってきた。
主に共感できなかった部分はカップルがすれ違っていく、3年目のシーンだ。
お互い近くにいるのに全く話さなくなったり、カップルなのに会話が続かなくなったりしていく。
まるでたまたまバスの待合所で隣になってしまった人の会話のように気まずく、終盤はこっちまで息が苦しくなっていった。
気づいたら私はテレビを切っていた。
彼らの恋愛に等身大の想いを乗せることができて、そこまでは楽しかったが、後半から変に2人を別れさせようとする脚本の都合を感じてしまい、その時点で見る気が失せてしまった。気づけばだいぶ時間が過ぎてしまい、その瞬間一気に眠くなってきた。
ポテチの袋をゴミ袋に入れ、ベタベタになったリモコンをティッシュで拭く。
一旦はそれで終わり。
そう本当は全然終わっていない。
リモコンはまだテカテカしてるからウエットティッシュをキッチンから持ってきて拭かないといけないし、
床にはポテチのカスがポロポロ落ちてる。
けれども一旦今日は眠くなってしまったし、ユウくんも帰ってこないから寝てしまおう。
そういう意味での一旦の終わりだった。
ユウくんが帰ってこない今、
自分にできることは何もない。
ユウくんを元気づけようとしても
ユウくんがいなければそれすらできないのだ。
朝。起きてポテチのカスはゴミ袋に入れたが、リモコンは面倒くさくてそのままにしてしまった。
こうなると一生リモコンはテカテカしたままだが、ユウくんはあまりテレビも見ないし、大丈夫だろうと思いそのままにした。
そしてそろそろ家を出て、職場に行こうとしたそのとき、
ユウくんが帰ってきた。
マモルです。作品を見ること、作ることが大好きです。ちょっと気を抜くとすぐに、折り畳み傘に髪の毛がひっこ抜かれてしまいます。気を引き締めて毎日生きてます。生き急ぎ過ぎないように。
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とは言っても全然深刻な家出ではなく
大型案件の撮影のためなのだからむしろ
喜ばしいことだった。
誰もいない部屋をブラブラする。
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昼の12時。僕は池袋駅にいた。
東口は日曜にふさわしく混雑していた。
あのメッセージがなつみちゃんから来たあと
僕は速攻で遊びに誘った。
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私の人生は終わったのかもしれない。
今私はユウくんの家にいる。
ごま油のいい匂いがする。
我ながら上手くできたと思う。
野菜たっぷり、豚肉多めの肉野菜炒め。