「優しいあなたに恋してた」第3話

ユウくんが家を出て4日が経った。

とは言っても全然深刻な家出ではなく

大型案件の撮影のためなのだからむしろ

喜ばしいことだった。

誰もいない部屋をブラブラする。

私も2日振りに入ったけど

入った時に思いの外ひんやりしていたことに

びっくりした。人がいることによる温かさを実感する。

ユウくんがいることによる温かさが恋しくなった。

ユウくんが今回の仕事を引き受けるかどうか私に相談した時、

私は覚悟を決めてどんどんやっていこうよとユウくんの背中を押した。

その時はとても大変なことが始まると思ったし、

かなり困難なことが起こるとも思っていた。

でも現実はそうでもなかった。

なぜならユウくんが実際に部屋にいないので

私には基本やることがないのだ。

ユウくんは仕事モードになると連絡が取りづらくなる。

だから毎晩ユウくんと電話するなんてことは起きないし、私も電話しようと思わなかった。

私がここ数日でやっていたことと言えば、

ユウくんの家の大掃除。

普段ユウくんがいるからこそ掃除できないような

排水口周りや、ユウくんの部屋など

気になっているところをちょっとずつ綺麗にして2日かけて新居同様の状態に持っていった。

テーブルの上には電源ケーブルに繋がれた

鍋がグツグツしている。

白菜や人参が少しくたっとなる前、

まだ芯が残っているギリギリの段階になって私は火を止めた。

こうしておけばユウくんが帰ってきたタイミングで火をつけて、

少し待てば1番コンディションが整った常夜鍋をご馳走することができる。冷蔵庫の中に鰹のタタキサラダも入っているし、

あとはユウくんが来るのを待つだけだった。

私はテレビの前に移動して仕事用のPCを開いた。

明日の会議のリマインドメールが先方から送られていた。

私はピアレスというモイスチャー化粧品を生産して販売する会社に勤めており、その営業担当である。

今新作のプロモーション戦略のためにリニューアルのプロモーションムービーを作ることになっていて明日はそのアイデアを先方のクリエイティブが提示してくれるプレゼン回なのだ。ただすでに少し不安な予感がしていた。

それはリマインドメールの最後の一文だ。

それでは明日よろしくおねがいそます。

ミラクリエイティブ 牧野

変換ミスをしてる。

基本メールはダブルチェック

するものだと思っていたが、

それができていない時点で少し不安だ。

会議室の住所は?

場所は合っているのか?

内容全てが信頼できなくなってくる。

もし違ったら怒られるのはこのメールを送った人だけじゃない。

そこにアテンドした私も怒られるのだ。

一応Googleマップに住所を入力して確認する。

確かにミラクリエイティブの本社が出てきて一応は安心する。

そもそもなぜこの時間に送っているのかも疑問で、

この人はあまり仕事が得意ではないのかなと想像しながら返信を返す。

するとドアの前が騒がしくなった。

足音と共に何かがドアにコツンとぶつかるような音もしつつ、

次にドサッと何か大きな荷物を地面に落としたような音も聞こえる。間違いなくユウくんだった。

慌ててドアを開けると髪がボサボサのユウくんが出てきた。

「ただいま」

そう言いながら笑いかける

ユウくんの笑顔にさっきのメールの不安も吹き飛んだ。

「お疲れ〜大変だったね〜荷物ちょうだい」

「ありがと。なんか温かいね、てかいい匂いする、ご飯あるの?」

「そう、今日はお鍋だよー、寒かったしね。撮影お疲れ鍋パしよ」

外から来た人からすれば部屋の中はいい匂いがしていたのか。

この部屋に慣れてしまい気づかなかったけど荷物を運ぶ際に一瞬外の空気を吸って中に入ると

なるほど確かにお肉や醤油だしのいい匂いがする。

もしかしたら少しお腹が空いていたのかもしれない。

私はすぐに鍋の電源スイッチを入れた。

「撮影はうまくいったの?」

「うん。撮影自体はスムーズだった。ただ俺はちょくちょくミスったりして、

その分上のチーフの人とかがカバーしてくれたりして申し訳なかったな、ん!美味しいこれ、あったまる〜」

鍋は野菜もお肉もただ切って入れて煮込むだけだから

本当に簡単だ。さらに洗い物も少なく、油やソースなど頑固な汚れも出ないのですごくこちらとしては楽だ。

でもユウくんはこんな料理もクリエイティブだなーといって写真を撮って食べてくれてる。

ホントにどこまでも簡単に喜んじゃうんだから。

ユウくんを喜ばせる選手権があったら問答無用の金メダルだろう。

「でも行ってよかったんでしょ?」

「うん。めちゃめちゃ刺激に繋がった。

やっぱ現場がデケエからめちゃめちゃ学ぶことありまくるんだよね……

ただすぐ次行っちゃうから必死に脳に焼き付けないと……まだまだこれからだね」

「これからってまた行くの?」

「あ、ごめん。勝手に言っちゃって、チーフの人がまた別の案件紹介してくれて、行くかって?一応明日返事だから断れるんだけど…」

「いやいや行きなよ!全然そんなつもりじゃなくて、行きたいんでしょ?」

「うん……行きたい。わがままでごめんね」

「いいよいいよ全然、ユウくんのわがままを受け止めるって、この前言ったばっかじゃん、行ってきなよ。どんどんさ」

「ありがとう……本当に俺ユズと出会えてよかったよ……」

「大袈裟」

めっちゃ嬉しいけど

「いやいや……そういやユズは?変わりなかった?」

「うん。全然、仕事も順調。まぁちょっと不安だけど」

「え?そうなの?キツそうってこと?」

「あいや、そうじゃなくて、向こうのクリエイティブ担当の人がちょっと……」

「合わないの?」

「いやできないの」

「あぁーそうなんだ……」

「んーちょくちょくメールが誤字ってるし、ちょっと表現もわかりずらいんだよね……」

「それ大変だね……言ってあげないの?」

「うーんでもそれ向こうの上司がやってよって話じゃない?」

「それはそうだね〜」

ユウくんが本格的に忙しくなる。

そのイメージがついていなくて不安だったけど

いざ始まってみると案外楽しいかもしれない。

ハフハフと白菜を食べながらひどく楽観的にそう思った。





「すみません……」

「俺も確認しなかったから悪いけど……でもあの時間に

cc入れられても正直見れないから……もっと早めに送ってほしかったなぁ……」

「すみません……」

僕が勤めてる広告代理店の仕事。

その仕事が最近うまく行っていない。

「あとさ……会議の状態にしてくれってさっき言ったけど、これで牧野くん的にはオッケーな感じ?」

絶対に与田さん的にはオッケーじゃない。

だからここでオッケーだと思いますという返事はしたくない。つまり何がオッケーじゃないのかを先にこちらから指摘するのだ。

むしろ少しでも自分はできる人なんだ、

自分の頭で考えている人なんだということをこの局面でもアピールしたい。

せめてもの最後の抵抗だ。

ただどれだけ会議室を見ても見つからなかった。

だからこう答えるしかなかった。

「いえ……まだちょっと途中でした……」

ここでじゃあここからどうなるつもりだったの?

と言われるとどうしようもないし、

ある種賭けだったがどうやらその賭けには勝ったようだ。

「あーそうなんだ、じゃあまぁ仕方がないけど……これね?」

与田さんは机の上にある電源タップを指差した。

「これ、コードは下に隠しといて。見栄え悪いから」

なるほど。前なんとなく電源タップを机の上に出すことは言われたが、そのコードは確かに机の上に出ているとぐちゃぐちゃしてて見栄えが悪い。

「すみません……やっときます……」

元々僕が仕事ができないというのもあるけど

ここ最近特に調子が悪いのには理由がある。

それはなつみちゃんのことだ。

なつみちゃんが退職したのだ。

突然の報告で全社メールの人事部からのメールで同期は彼女の退職を知った。

一身上の都合ということもあり、誰も連絡することもできず、社用のケータイのラインは一昨日削除されていた。

自分がなつみちゃんのために

何かをしようと勝手に思っていても、

結局行動できないまま、

言葉で伝えられないままに

なつみちゃんはこの会社を去ってしまった。

<自分と職場で目を合わせるのが気まずいから>

もしそんな理由で辞めたとしたら?

頭の中によぎるあり得ない妄想が、

僕を死ぬほどに責めたてた。

僕はどうすればよかったのか。

そんなことで本気で悩んでしまい、

ここ最近生活リズムがめちゃくちゃになっていた。

なつみちゃんのことを考えて、

ボロボロになっている。ように見える。

でも実際はなつみちゃんに対して

僕ができなかったこと、できたこと、をひたすら考えているので、

結局僕は僕のことについて考えている。

「牧野?」

ハッとして声の方向を向く。

チームリーダーの与田さんと、

ユニットリーダーの田菜月さんがこちらを向いている。

どうやら昨日打ち合わせしていた通り僕のパートが巡ってきていたらしい。

「すみません」

ピアレスというモイスチャー化粧品のサンプルを向こうから一台受け取って保管するという役だ。

向こうから女性がサンプルを持って近づいてくる。

受け取った。

絶対受け取った。

受け取ったはず。

なのに。

次の瞬間モイスチャー化粧品は僕の手をすり抜けて彼女の腰あたりにサンプルが弾けていた。

しばし。記憶が。ない。

与田さんに言われたのか

自分で思わず駆け出したのかわからないが

僕はあの方に謝るために

本社4階の婦人用トイレの前で待っていた。

しばらくすると腰を濡らした女性が出てきた。

「すみません…先ほどは本当にごめんなさい……」

彼女はあからさまに不機嫌そうな顔を一瞬したのちに、冷静に歩みを止めずにこう言った。

「いえ、大丈夫です」

「これよかったら使ってください……」

僕は仮面ライダーのハンカチを差し出した。

彼女はしばしフリーズし、僕を見た。

そして言った。

「失礼ですが、牧野さん?ですか」

「あ、はい。牧野です。えっと……」

「香田です。牧野さん。」

そう言うと香田さんは誰も周りにいないことを確認してこう言った。

「仕事お願いだからできるようになって……今日10個くらい文句あるから」

物凄い形相だった。この世の全ての怒りを神様が香田さんに注入したような顔だった。

「10個……すみません……あのもしよければ教えてください……改善しますので」

「いえ、大丈夫です。もう戻ります。

あとでメールしますので」

そう言うと彼女はツカツカとオフィスに戻って行った。

その日僕は想像できないくらいに怒られ、

始末書を書かされ、終電を逃し、

近くの公園で朝を迎えたことは言うまでもない。

木々のカサカサという音がする中、

僕はあんなにも怒られたのに今日の一件のことではなく、別のことを考えて自分のケータイを見つめていた。なつみちゃんのLINEだ。社用形態じゃなく、

普通に彼女と展覧会を見に行った際に交換した時のものだった。アイコンは相変わらず木枯らしが舞っている渋いアイコンのままだった。

僕のエゴで彼女に近づくのは間違ってるけど、

だからといって彼女に何もしなかった結果

彼女はあっけなく会社を去った。

しかも誰にも言わずに。

自分のエゴかもしれない。

自分のエゴのために彼女に元気になってほしいと思っているし、そもそも彼女が元気じゃないと決めつけてる。けどこれ以上考えていても仕方がないと思った。

心と体でやりたいことが違ってしまった時、僕は体を動かすことにした。滑るように文字が打ち込まれ、

僕の言葉は無事送信された。

その瞬間僕はスイッチが切れたようにベンチに倒れ込み眠った。

続く

マモル

マモルです。作品を見ること、作ることが大好きです。ちょっと気を抜くとすぐに、折り畳み傘に髪の毛がひっこ抜かれてしまいます。気を引き締めて毎日生きてます。生き急ぎ過ぎないように。

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