『くしゃみのふつうの大冒険』#30
日日平凡

ずっとずっと未来のこと、「地球(テラ)」へ旅立っていたゾウのお嬢さんが、ゾウのお母さんになって帰ってきました。
船には、元気いっぱいの子どもたちと大量の食料が乗っています。
ただ、目的地であるフカチの森が、あるべきはずの場所に見当たりません。大陸ごとないのです。
ゾウのお母さんは、もう長い年月が経っているので、大陸が沈んでしまったのか、あるいは移動してしまったのか、と思いました。
でも、予想はどれも外れていました。
フカチの森は、ずっと同じ場所にありました。
ただ、見えなくなっているだけなのです。
フカチの森は、光のなかにありました。
光の柱が膨張して、すべてを飲み込んでしまったのです。
といっても、なにも失われたわけではありません。あまりにも光が眩しくて、大陸の外からでは、その輪郭を捉えられないだけなのです。
森の生きものたちだって、いまもそこでいつもと変わらず日々平凡に暮らしています。
シマウマの娘さんは、いまでは駄菓子屋さんの店主をしています。
魔女はいまでも、アメフラシを瓶詰めにしています。
くしゃみのお兄さんと“人間”は、何度か倒れたゴミの塔を再び建て直しています。
アライグマくんは、借金をしない程度にギャンブルにハマっています。
『フランソワ・ハムの肖像画』は、いまは常設展の1番最後で来場者を見送っています。
ラジオ局「海鳥電書」は、いまも年中無休で放送中です。
フカチの森が光に包まれた原因は、くしゃみが企画・主催を担当していた1本の映画の上映でした。
お茶碗の下に隠されている光の柱を利用して、夜空に広がる大きな雲に映画を映し出そうとしたのですが、お茶碗を軽くあげただけで、これまで溜まっていた分の光が突如破裂したのです。
しかし、光はパッと視界を白くさせただけで、ひとつ瞬きをした次には、いつも通りの森の景色をみんなの知覚に返していました。
なので、上映の場に居合わせた誰しもが、光の柱がついに消滅したのだと思い込み、自分たちが光のなかにいるなんて少しも思いもしませんでした。
ただ、くしゃみにとってはそんなことよりも、映画の上映に失敗したことの方が大きな打撃となっていました。
森に暮らすみんなはもちろん、いまも世界のどこかで生きているであろうかつて出会った友人たちや、遠く遠くに暮らしているまだ出会っていない見知らぬ誰かと、みんながみんな一緒になって、1本の映画を目撃することに大きな憧れを抱いていたのです。
くしゃみは、砂浜に座り込んで、揺れる波を見つめていました。
くしゃみは、頭を抱えていました。
頭から生えている毛は、なぜ「頭の毛」ではなく、「髪の毛」なのかが気になって気になって仕方がなかったのです。
自分には髪の毛なんて1本も生えていないのに。
もう少しで夜が来ます。
夜が来たら、朝が来ます。
くしゃみは、家に帰ります。
猫のちょうが、夜ごはんを待っています。
明日はなにが起こるでしょう。
でも、今日もまだ終わっていません。
いつもいつでも楽しいです。
楽しくて仕方がありません。
「生まれてきて良かった」と、くしゃみはそう走りました。
作・絵 池田大空















