『くしゃみのふつうの大冒険』#20
夢見るおもちゃ屋
くしゃみの故郷には、「踊る子豚亭」という、ちいさなおもちゃ屋さんがありました。
「踊る子豚亭」は、くしゃみの産まれる昔から、くしゃみの両親が産まれる昔から、そして、くしゃみの両親の両親が子供の頃から、これまでずっと長い間、森の真ん中にありました。
そして、とうとう先日に、ペシャリと潰れてしまいました。
「お店を閉めざるを得なくなった」という訳ではありません。落石が原因で、文字通り、本当にペシャリと「潰れた」のです。
くしゃみは、そのことを「踊る子豚亭」からのハガキ「子豚便り」で知りました。パパさんからのめんどうな手紙に同封されていたのです。
「子豚便り」は、「踊る子豚亭」の会員のみに送られる週報のようなものでした。
会員になることができるのは、3才から15才までの子供限定で、くしゃみの故郷で育った生きものであれば、必ず通る道でした。
今回、もう子供ではないくしゃみのもとに「子豚便り」が届いたのは、きっと、「踊る子豚亭」の店主が、これまで会員登録していたすべての生きものに向けて「最後の挨拶」をしたかったからなのでしょう。
くしゃみが幼かった頃、「踊る子豚亭」会員の子供たちはこぞって、幼稚園や学校の無遅刻無欠席を目指していました。
というのも、会費の代わりになっていたのは、給食で出される牛乳瓶の蓋が20枚で、更新には15枚が必要だったからです。
たまに出てくるコーヒー牛乳の日には、入れものが紙パックなので、嘆き声が聞こえたものです。まぁ、悲観的なのは声だけで、皆、美味しそうに飲んでいたんですけれどね。
会員更新を重ねていくと、3年目には銅の子豚の蹄バッジ、6年目には銀の子豚の鼻バッジ、そして、10年目には金の踊る子豚バッジがもらえました。それも自分の名前入りです。
それは、なんでもないただのバッジでしたが、何か価値のある勲章のようでした。誰もが皆、欲しがって、既に身につけている子供たちは、やけに胸を張ったものです。
しかし、隣の森に大きなおもちゃ屋さんができたある年から、「踊る子豚亭」は、すっかり閑散としてしまいました。
新しいおもちゃ屋さんで扱っていたのは、レーザーを放つ宇宙のヒーローや声をかけると話す兵隊、ピッと音の鳴るキャッシュレジスターなどなど、最新のおもちゃばかりでした。「踊る子豚亭」で売っている、ゼンマイ仕掛けのブリキ・ロボットやお腹を押したらプキュッと鳴るぬいぐるみ、面ファスナーでくっついた積み木のおままごとセットとは、まったく違うものでした。
丁度この頃からくしゃみは、学校へ行かなくなりました。なので、「踊る子豚亭」の会員も辞めざるを得ませんでした。
くしゃみは、パパさんとママさんに拾われたその帰り道から、このお店に通っていました。
気づいたときには、毎週末、パパさんとお兄さんとお店に行き、カード付きのグミを1枚ずつ買ってもらうのがお決まりとなっていました。そして、帰りには毎回必ず、アルマジロのおばちゃんのラーメン屋さんで、ラーメンと半チャーハンのセットを3等分して食べました。
学校へ行かなくなり、会員更新をしなかったその日、くしゃみは、少しモヤモヤしていました。「踊る子豚亭」の店主に、自分も他の皆と同じように隣の森の新しいおもちゃ屋さんに陶酔している、と勘違いをされたくなかったのです。
しかし、店主は、すべてを知っていました。
彼は、くしゃみに、牛乳瓶の蓋の代わりにツルツルテカテカの水切り石ひとつを会費にすることを提案してくれました。
しかし、幼いくしゃみは、首を横に振りました。その特別扱いは、どこか自分の存在が慰められているようで、素直に喜べなかったのです。
といっても、「会員を辞めたらお店に来てはいけない」、というわけではありません。それに、15才を過ぎてしまえば、自動的に会員ではなくなります。
なので、早めに大人になったと思えば、そんなことなど屁のカッパでした。
「踊る子豚亭」の窓辺には、ゴリラのぬいぐるみが座っていました。
そのぬいぐるみに会うといつも、「お店に来たな」という喜びが刺激されたものです。
ゴリラのぬいぐるみは,どうやら骨董品の類いらしく、くしゃみがお小遣いを1年貯めても、その半分にも及ばない値段でした。相当な熱がない限り、多分、誰にも買えません。
なので、そんなゴリラのぬいぐるみは、何年も、何年も、何年も、そこに座って、ずっと笑顔で、白く汚れていきました。
くしゃみが故郷を出るときにも、同じ場所に座っていました。
きっと、あのゴリラのぬいぐるみも「踊る子豚亭」のお店と一緒に落石で潰れているでしょう。
天変地異を前にして、文句も泣き言も放てません。起きることは起きるのだし、起きたことは起きたことなのです。受け入れること以外に、自分に何ができるでしょうか。
くしゃみは、もしも、いつか、他のおもちゃ屋さんであのゴリラのぬいぐるみと同じものを見かけたとしても、そして、買えるお金があったとしても、それを自分の所有物にはしないだろうな、と思いました。
自分が好きだったのは、あの頃、あの場所のあのゴリラのぬいぐるみであって、それ以外ではありえないのです。
そんなことを思っていると、銀の子豚の鼻バッジの針が、くしゃみの指に刺さりました。
軽くだったので痛くはありませんが、プクッと血が顔を出します。
なんせ、古いバッジです。ばい菌が、なければ良いのですが…。

作・絵 池田大空