『くしゃみのふつうの大冒険』#13
聴き覚えのある曲

ある夜、くしゃみは、ラジオから流れてきた音楽が、誰の何という曲なのかがわかりませんでした。
しかし、聴き覚えのある曲です。
といっても、いつどこで聴いたのかも思い出せません。また、いつどこで聴いたのかが思い出せないほどによく耳にするのか、それともぼんやりとしか思い出せないほどの回数しか耳にしていないのか、ということすらもわかりません。
次々と降りかかるようにして展開される音楽は、「そうそう、これこれ、知ってるのよ」と、くしゃみの記憶をくすぐります。
ところが、こういうときに頭に思い浮かぶのは、なぜかいつも、似ても似つかないような全く別の誰かの曲で、1度それが頭の中に再生されると、もうそれ以外には何も思いつかなくなるのでした。
くしゃみの頭にはいま、沼住蝦蟇兵衛(ぬまずみがまべえ)の『食って寝るだけの冬』の1部分だけが無限かの如く繰り返されていました。しかし、思い出したいのは、この曲ではありません。
くしゃみは、自力で思い出すことは諦めて、曲の終わりにラジオDJが、「お届けしたのは、〇〇の××でした」と、曲紹介するのを待ちました。
結論からいうと、くしゃみが知りたかった曲の名前は、サージェント・ピーナッツ・バタースコッチ・バンドの『ゲット・バター』という曲でした。
しかし、くしゃみがそれを知ったのは、曲が終わってから2時間半もあとのことでした。
というのも、くしゃみが待ちに待ったラジオDJの曲紹介が、「緊急速報」によって突如中断されたからです。
くしゃみは、発狂しそうになりました。そして、ネクタイを2秒でブエッと締めるとすぐに家から飛び出して、ラジオ局まで突っ走りました。
フカチの森のラジオ局「海鳥電書」は、森を東に抜けた海岸沿いにありました。
くしゃみの家からは、そう遠くありません。30分もせずに到着します。
しかし、くしゃみがラジオ局の中に入ると、先ほどの「緊急速報」の件で、働いている海鳥たちがドタバタと慌ただしく、あちらこちらへ駆け回っていました。
というのも、「緊急速報」とは、科学特捜研究所から届いた伝達で、「フカチの森に向かって隕石が飛来している」、というものだったからです。
ラジオ局には、リスナーからの電話が殺到しています。
なぜ、情報を流しただけのラジオに電話をし、科学特捜研究所には電話をしないのでしょう。
デスクに並んだ3機の電話が、絶えず切れずに鳴りつづけ、電話係のペリカンくんが可哀想になってきます。
こんな状況では、くしゃみが話しかけてみようとしても、誰も取り合ってくれません。それどころか、くしゃみがラジオ局に入ってきたことでさえ、誰も気づいていないでしょう。
くしゃみは、待合室の椅子に腰をかけて,みんなが落ち着くのを待つことにしました。
約2間後、科学特捜研究所から届いた新しい「緊急速報」によって、ラジオ局は、いつもの落ち着きを取り戻しました。
新たな情報によると、フカチの森に向かってきている隕石は、衝突はせずに、上空80キロメートルを通り過ぎていくのだそうです。
また、科学特捜研究所の計算によれば、隕石はこのまま上空を通り過ぎたあと、向こう7ヶ月もの間、地球を周回しつづけるのだといいます。つまり、7ヶ月後には、どこかしらに落下するというわけです。
そんなことはさておき、ラジオ局の海鳥たちは、くしゃみが勝手にやってきて勝手に待っていたのにも関わらず、「コーヒーもお出しできずにごめんなさい」と頭を下げて謝りました。そして、「いえいえ、そんなっ!!」と両手と首を振るくしゃみに、サージェント・ピーナッツ・バタースコッチ・バンドの『ゲット・バター』をもう1度ラジオでかけることを提案してくれました。
くしゃみは、これに感激しました。なんて優しい海鳥たちでしょう。
くしゃみは、放送室がガラス越しに見えるスタジオ内に招かれて、そこで、ノイズの混じっていない綺麗な音源で改めて曲を聴きました。そして、曲が始まってすぐに、全く聴き覚えがないことに気がつきました。
ということで、『ゲット・バター』が終わるとくしゃみは、みんなにお礼を伝えてから、沼住蝦蟇兵衛(ぬまずみがまべえ)の『食って寝るだけの冬』をリクエストしました。
こんな突然の要望にも、スタジオの海鳥たちは、嫌な顔ひとつせずに首を縦に振ってくれました。
くしゃみは、ますます彼らを好きになりました。なんて良い海鳥たちなのでしょう。
曲が流れ始めるとくしゃみは、「そうそう、これこれ」とうなずいて、ふんふんふんふんハミングをしました。
それを見たスタジオの海鳥たちも、何だか嬉しくなってきて、くしゃみと一緒にハミングをし、少し経つと歌い始め、最後には大合唱をしました。
くしゃみたちの大合唱は、スイッチを切り忘れたマイクからフカチの森中に届けられました。
これには、「緊急速報」に神経をすり減らされていたリスナーたちも笑わずにはいられませんでした。そして、気づけば、フカチの森のみんながみんな、1匹1匹ラジオの前で『食って寝るだけの冬』を歌っていました。
お皿洗いをしながら歌ったり、絵を描きながら歌ったり。洗濯物を畳みながら歌ったり、お風呂に入りながら歌ったり。
しかし、同じときに違う場所で、同じ曲を耳にして、他の誰かと一緒になって、同じ歌をうたっているなんて、どこの誰も知りもしませんでした。
でも,それで良いのかもしれません。
知らない方が、知ったときに、なんだか感動しますから。

作・絵 池田大空