『くしゃみのふつうの大冒険』#12
見慣れぬ場所

くしゃみは、最近になって、ランニングを始めました。
2日に1度の間隔で、フカチの森を走ります。
といっても、体を引き締めたいわけでも、体力をつけたいわけでもありません。
ただ、そんな気分なだけなのです。
くしゃみのランニングは、特にコースが決まっているわけではありませんでした。
ただ、こっちに行ってみたいな、あっちに行ってみたいなと、先に広がる道を見定め、瞬時に判断するだけなのです。
そのため、くしゃみは、長いときには1時間半、多いときには往復9キロもの距離を走り続けることもありました。
といっても、見慣れない場所にやってくると、走る速度は緩やかに落ちていき、最終的には歩いて辺りを見渡しているので、そんな苦ではありません。
それでも、道に迷って家に帰れなくなるといけないので、簡単なルールだけは自分の中に設けていました。つまり、往路を通って必ず帰る、というルールです。
このランニングの中でくしゃみは、フカチの森の西側には、森を縦に突っ切るようにして数キロおきに、地下への入り口がいくつもあることに気がつきました。
これまでに発見した入り口は、どれも見た目がそっくりで、すべて同じ時代につくられたことが予想できました。
また、階段の奥に広がる暗闇からは、腐った雨水のにおいがしました。
くしゃみは、このにおいを嗅ぐと鼻の奥を突き刺されたような感じがして、こめかみ辺りが重くなりました。そのことから、これまで1度として、地下への階段をおりたいとは思いませんでした。
それにどの入口も、あまり冒険心をくすぐるような良い雰囲気がしません。「こっちへ来るな」とでもいうような嫌な気配が、くしゃみの乾燥肌をピリつかせます。
この階段の先には、一体何があるのでしょうか。
フカチの森のみんなが語る噂話は、どれもいい加減なものばかりでした。
地下への入り口に見えるが、実はその先は何もなく、歩き進んでいるうちに自分の体が闇に溶け込みそこに残り、霊魂だけが天に昇る、というガマガエルお爺の話。
かつて、まだここら一帯が不毛の地であった時代に、遠くの地に暮らす生きものたちに向けて、さまざまな種類の火を灯すことで信号を伝達していた連絡塔である、というヤマネコおばさんの話。
ワープゾーン、というアリンコ坊主の話。
他にも、宇宙人関連のありふれた話や、怪しげな団体の「集い」が夜な夜な行われており、何やら巨大な機械が運び込まれていた、というほら吹きドードーの目撃談もありました。
いちばん信憑性があったのは、浮浪者が暮らしている、というものでしたが、それでさえ事実かどうかはわかりません。
ちなみに、フカチの森のいちばん西に暮らすくしゃみのお兄さんは、1度、家の真裏にある地下への入り口のひとつを、どの噂が本当か確かめてやろうと、連日連夜、見張ったことがありました。しかし、残念なことに、特に変わったことは起こりませんでした。
そして、お兄さんは、「誰から始まった噂かはわからないが、地下への入り口の真裏に暮らしている自分が何も目にしていないのだから、他の誰も本当のことなんて知るはずがない」と思い、睡眠時間を無駄にしてしまった自分の愚かさに呆れてしまいました。
というのも、その後、目の下のクマが2週間半ものあいだ消えなかったからです。
さて、くしゃみはというと、地下への入り口に関するあれこれについては、何も知らないままでいようと思いました。
もう何年も何年も暮らしているこの森で、知らないことがあるということは、きっとその知らないことは、こちらに自分の存在を知られたくないのだろうと、思ったのです。
いつかきっと、そのときが来たら、あの階段の先に何があるのかを知ることができるでしょう。
そして、自分がその事実を知ったときには、他のみんなにも同じように知る機会は訪れていることでしょう。
森を出たその先にも、地下への入り口は、続いています。
きっと、その先も、そのまた先にも、そのまたまたそのずっと先にも、同じように続いていることでしょう。
くしゃみは、そうだったら面白いな、と思いました。そして、腐った雨水のにおいだけは、どこか途中で消えていれば良いな、と率直に思うのでした。

作・絵 池田大空