『くしゃみのふつうの大冒険』#03
フカチの森の魔女の治療
くしゃみは、胸が苦しくて仕方がありませんでした。胸の中心からほんの少し右側が、なんだか詰まっているような気がするのです。
くしゃみは、上半身をのけぞらしたり、腕を広げてその違和感をほぐそうとしました。しかし、骨がぽかっと開くだけで詰まりはどうも和らぎません。リンパマッサージを試してみても、気持ち良いことは気持ち良いのですが、やはり効果はありません。背中を丸めて胸を寄せてみると筋肉痛のようにうずきます。
くしゃみは、フカチの森の魔女のもとへ治療を受けにいくことにしました。噂によれば、魔女は、お医者さんでも治せない病気もすぐにいやしてしまうというのです。
しかし、これまでくしゃみは、魔女の家のあるという沼のほとりに足を踏み入れたことがありませんでした。というよりも、近寄ることができませんでした。
魔女の家のまわりには、「私有地のため立ち入り禁止」の呪文がかけられており、指の先がちろっとそこに入っただけでも、いつの間にか自分の家の玄関先に戻されたり、ひどいときにはティッシュに姿を変えられて鼻をかまれてしまうのだそうです。
もちろん、治療を受けに来たくしゃみのように、明確な用事がある場合は別です。
くしゃみが沼の入り口にやってくると、雑木林が「こんにちは」と頭を下げて、子熊一匹通れるほどの狭い道を開けてくれました。
くしゃみは、雑木林にお辞儀を返すと、ふさがっていく入り口を背にして、道の奥に見える魔女の家と思わしき建物に向かいました。
ところが困ったことに、魔女の家らしき建物は、大きな切り株の上に置かれただけのただのハリボテのようにも見えてきて、くしゃみにはそれが本物の家かどうかがわからなくなってしまいました。それでも、切り株の手前に魔女を描いた看板があるので、ここに魔女がいることは間違いないはずです。ただ、どうすれば会えるのでしょうか。
そのとき、看板に描かれた魔女の口が動き出しました。
「お兄さん、今日はどんな病状で?」
くしゃみは、驚いて飛びあがってしまいました。
魔女の絵は、くしゃみの驚きぶりを見てケロケロ笑いました。そして、もう一度同じ質問を繰り返します。
「お兄さん、今日はどんな病状で?」
くしゃみは、少し腹を立てながら、看板の魔女の絵に自分の胸の具合について伝えました。
魔女はそれを聞くと次に、アレルギーはあるか、タバコは吸うか、お酒は飲むか、現在服用中の薬はあるか、そして現在治療中または過去になったことのある病気はあるか、と重ね重ね質問をしました。そしてようやく問診が終わったかと思うと、「では、早速治療に入りましょうか」とつぶやいて、くしゃみの体にビュッと舌を巻きつけると、そのままゴクンと飲み込んでしまいました。
看板の魔女の絵のノドをくしゃみはゆっくり落ちていきます。
ノドの中は、底の見えない井戸のようで、ところどころ置かれたアロマキャンドルのあかりがまだ先が長いことを語っています。
それにしてもなんて良い香りなんでしょう。ひとつ目のアロマキャンドルを通り過ぎると大好きなハチミツレモン茶の香りが右の鼻の穴に入ってきます。ふたつ目のアロマキャンドルを通り過ぎると買ったばかりの単行本の香りが右の鼻の穴に入ってきます。
こんな風に、アロマキャンドルを通り過ぎるたびに、くしゃみの大好きな香りが彼の右の鼻の穴に入ってきて、ぽかぽかぽかぽか胸に溜まっていきました。
気づいたときには、くしゃみは床に横になっていました。幸せな香りで胸がふくらみ、眠ってしまっていたんですね。
すると、誰かがくしゃみの両肩に手を置きました。
魔女です。今度は看板の絵ではありません。
魔女はくしゃみに、大きく息を吸って、大きく息を吐くように言いました。
なので、くしゃみは、うんとこれまた大げさに深呼吸をしてみせます。
するとなんということでしょう。くしゃみの左の鼻の穴から黒い煙があらわれたかと思うと、みるみるうちにその姿がアメフラシへと変わっていったのです。
魔女によると、この黒い煙のアメフラシが天までのぼって雲にぶつかると、「朝は平気だったのになんでいまっ!?」というときに、大粒の雨を降らせるそうです。それもねっとりべたべたした粘液のような雨です。
しかし、なぜこんなものがくしゃみの胸を苦しめていたのかは、魔女にはわかりませんでした。魔女の専門は、原因を突き止めることではなく、痛みを和らげることですからね。
魔女は、さっと手を振り上げるといつの間にか手に持っていたジャムの空き瓶にアメフラシを閉じ込めました。
魔女は、くしゃみにアメフラシを持ち帰るか尋ねました。なんでも、嫌いな奴のデートを台無しにするのには最適なのだそうです。
くしゃみは、特に嫌いな奴は思いつきませんでしたが、もらえるものはもらっておくことにしました。今後何か起きたときのための良い武器だと思ったのです。
それにしても、自分以外にもこの森にアメフラシを持っている魔女の患者がいるのかもと考えてみると、くしゃみは恐ろしくなりました。でも、自分が恐ろしいと思うということは他の誰かもきっとそう思っているはずですよね。
作・絵 池田大空