column
「あえて自分で選ばない」ということ ~訪れるものに開かれる・実践編~

前回、「訪れるものに開かれる」というテーマで記事を書いていきました。おさらいすると、個々人の主体的な選択よりも世界から自らに降りかかってくるものを引き受けていく覚悟こそが重要だという構えが「訪れるものに開かれる」という言葉が意味するものでした。前回はこの言葉が持つ歴史的、思想的な背景からその意味について解説していきました。

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コラム
|ひとことテツガク第4回「我思う、ゆえに我あり」

ひとことテツガクとは、哲学の「ひとこと」を紹介し、分かりやすく読み解いていく企画。第4回のテーマは「我思う、ゆえに我あり(ルネ・デカルト)」

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コラム
訪れるものに開かれる

「訪れるものに開かれる」

この言葉は僕の心をすっかり掴んでしまったパンチラインです。はじめにこの言葉を聞いた時、その意味を説明されずとも直感的に理解できるような、自分がそれまで漠然と感じたり考えたりしていたことが一気に言語化されたような、そんな衝撃がありました。「強い言葉」だなと感じました。なんか、意味はわからなくてもかっこいいでしょう?

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コラム
映像身体学が唱える「第三の目」ならぬ「第三の知覚」って!?ひとことテツガク第3回 

前回まで2回にわたって、<知覚>シリーズをお届けしてきました。
今回はいよいよ最終回!
前回までの内容を振り返りながら、映像身体学の提唱する「第三の知覚」について見ていきます!

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essay
「誰と」ともに生きるのか

「ともに生きる」。「ともに」って、一体誰を指しているんだろう。

家族や恋人、友人、学校のクラスメイトや職場の同僚、日常の中での人間関係を思い出してみる。日常的な人間関係の中で価値観が合わないと感じる瞬間はたくさんある。しかし、価値観の違う他者のことも尊重しなければいけない。これが難しい。時には誰かを守るために、他の誰かを悪く言わなければいけない時もある。複数の価値観や利害が衝突するような、そういう困難な状況に僕らは置かれている。

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