『くしゃみのふつうの大冒険』#06
ガラスの壁とてのひら
ある日、くしゃみがフカチの森を歩いていると、目の前に巨大なガラスの壁があることに気がつきました。
くしゃみは、光の反射に気がついた自分を誇らしく思いました。生まれながらにこんな間の抜けた顔をしていますが、実際には鈍くはないことを証明した気持ちになったのです。きっと、四足歩行の普通の山椒魚ならガツンッと衝突していたことでしょう。
しかし、そんなくしゃみも、ガラスの壁が通せんぼうをしていて先に進むことができないので、少しイライラしてきました。といっても、こんな巨大なガラスの壁です。1匹のちいさな山椒魚には、壊すことも登ることもできません。遠回りにはなりますが、ガラスに沿って横に進み、その終わりまで行くしかなさそうです。
ということで、くしゃみは、ガラスの壁の終わりまで歩きつづけました。
ガラスの壁は、緩やかに低くなっていき、いまではくしゃみ2匹分の高さにまでなっています。
くしゃみは、「随分と遠くまで来た気がするな」と辺りを見回していました。実際には、歩き始めてから15分ほどしか経っていませんでしたが、歩幅のちいさなくしゃみには1時間ほどに感じたのでしょう。
その時、くしゃみは、ガラスに激突しました。というのも、自分の顔の高さとほぼ同じところからガラスが長方形に出っ張っていたのです。
ガラスの壁の終わりは、その出っ張りのすぐ向こうでした。しかし、出っ張りの隣にこんな札が貼られていたので、くしゃみはすっかり気を取られてしまいました。
「38びょうかん、てのひらをのせてください」
くしゃみは、つい最近、”あいうえお” を覚えたばかりでした。いまでは、単語を音読できるだけでなく、その意味も理解できます。
なので、くしゃみは、誰が聞いているわけでもないのに、札に記された注文を一語一語ゆっくりと読み上げると、「へへんっ」と鼻を鳴らしました。そして、特に何も考えもせず、札の注文通りにてのひらをガラスの出っ張りの上に乗せました。
すると、なんということでしょう。
ガラスの壁の向こう側に、モゾモゾと黒い影が浮かび上がりました。
光の反射であまりよく見えませんが、どうやら大きな肉の塊のようです。
しかし、それ以上はわかりません。よく見ようとすればするほど、その姿があいまいに浮かび上がってくるのです。
大きな肉の塊は、上下左右に伸縮し、時にくるっと回ってみせたり、まるで踊っているかのようでした。
くしゃみは、その踊りに見惚れてしまい、出っ張りにてのひらを乗せてから何秒経ったのかがわからなくなってしまいました。きっと38秒は、もうとっくに過ぎているはずです。
くしゃみは、ガラスの出っ張りからてのひらを離しました。すると、それからすぐに、大きな肉の塊の影もスッと消えてなくなりました。
くしゃみは、ガラスの壁の終わりから向こう側を覗いてみました。しかし、そこには誰もいません。ただ、てのひらを乗せていたあの出っ張りの反対側から見る世界は、不思議と歪んで拡大されて、光り輝いて見えました。
くしゃみは、自分のてのひらを見つめました。なんの変哲もないてのひらです。
しかし、出っ張りの向こうからは、どのように見えていたのでしょうか。自分のてのひらも光り輝いていたのでしょうか。
ガラスを介さなくてはならないので、自分1匹ではその事実を知ることはできません。
でも、きっとそうなんだろうな、と思ってみると、くしゃみはなんだか幸せな気持ちになるのでした。自分には、そんな素敵なてのひらがあるのかと。
作・絵 池田大空
参考作品 杉本音音 ≪手saw≫