歳と一緒に重ねるもの

9月2日、24歳になりました。鹿の子です。

写真は「元気ぷらざ」を前になぜか元気ではなく冷静さを取り戻してしまった先日の私。眉毛が薄すぎる。

人生も早いもので2ダース年目の終わり!(この話題で「終わり」とか言わない方がいいのかも)

私はこんなにモチモチのタンパク質の塊なのに、耐用年数がちょっと長過ぎるような気もしますが、生きることに意味もなく執着があるので、有り難くこの身体で引き継ぎやっていきます。

誕生日。

苦手な人も好きな人もいると思いますが、私は普段あまり人に甘えるのが上手くないので、この日ばかりは他の人からの真っ直ぐな好意をこちらも臆さず真っ直ぐに受け取れる日として、とても有り難いなぁと素直にワクワクします。

ただ10代の頃の誕生日は比較的「グレードアップ」の風情があったのに対して、20代になると急に「加齢」の意味合いを強く感じるようになった気も。

特に21~23歳の誕生日は迎えるたびに「もうお前大人やで」という自覚がどんどん胸に深く刺さっていくようなズシン......という質感があり、これ40代とかになったらどうなっちゃうの~!と危機感を覚えていました。

ただ今年は少し感触が違います。

実は今年の5月にカメラマンとして開業をして、その関係で地元の個人事業主さんや個人商店の店主さんとお会いする機会が増えました。

そうしたスモールビジネスの現場では、大体短くても30代くらいまでは会社で勤めてから独立される方が多いので、そういう場で「23です」と年齢を伝えると基本的に驚かれます。そして

「何でもできるよ」

と声を掛けられます。皮肉でも何でもなく、同世代と話していると「もう24かよ......」というトーンの話になることが多いので最初はピンと来なかったのですが、社会人スタートをゼロと考えれば、普通につかまり立ちに慣れてきた赤子くらいのレベル。

そう思うと、これまで若さは「未熟さ」や「美しさ」の指標のような感覚でしたが、これからは「自由さ」こそが自他にとっての「若さ」になっていくのかもしれないと思いました。

多分私が「若い」と言っていただけるのも、単に年齢の話だけではなくて「新卒9か月で会社を辞めて、前職と無関係の他業界で独立した」という無謀さ、自由奔放さが年齢で強調されているだけのような気もするし。

だからもう、年齢を重ねることを若さの対比と捉えるのはそろそろ辞めようかなと思っています。

むしろ、子どもの頃に心配性が行き過ぎて自分や周りをルールで雁字搦めにしてきた私にとっては、ここからが自由で若い時期なのかも。

まあ別に若いから良いとか悪いとかじゃないんですが、自由が加速していく年の重ね方をしていくことはまさに「何でもできる」人生を歩むことなのかもしれません。なかなか難易度は高いのかもしれませんが......。

でもそこを何とか奮闘して、こうして1歳年を重ねるごとに、勝手に背負い込んでしまった大荷物を路肩にぶん投げてどんどん自由な大人になっていきたいです。

そうやって生きて行けば、学生の人に「これからが一番楽しいよ」と言える大人になれるのではないかと淡い期待を抱きながら、ケーキの代わりに大好きな日本酒を飲む誕生日でした。

今年もあらゆる人と一緒に楽しいことをしていきたいです。どうぞよろしくお願いします!!!!!!

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