「捨てられない」もの

「捨てる」という行為が苦手だ。

しばらく着ていない服も、もう読み返すことのない本も、いざ捨てようとすれば「いつか使うタイミングが来るんじゃないか」と躊躇してしまう。そう、典型的な「捨てられない病」だ。別名「もったいない病」とも言う。

以前、片付けのプロか誰かが
「もったいない」という理由から捨てられないものたち、それらが占めているスペースの方が却って「もったいない」のだと言っていた。

そんなこと頭では分かっているけれど、それでもやっぱり捨てられないのである。
もちろん、何から何まで捨てれば良いってわけじゃないと思う。
例えば手紙や卒業アルバム。例えば幼稚園で描いた絵、部活のオリジナルTシャツ(ダサい)。そういう昔の思い出が詰まったものは「使わなくても捨てなくて良い」物たちに分類している。

厄介なのは、大して思い入れもなく、かと言って使い道もないのに「捨てられない」物たち。いわゆるタンスの肥やし。思えば、私の人生は「捨てられないもの」ばかりだ。

いつか使うかも、と思ってストックばかりが増えていくビニール袋。
ゴミの日を逃し続ける電池たち。
顔パックの入っていた袋(に僅かばかり残っている美容液)。
治ってはまた現れるニキビたち。
身体を包む余計なお肉。
毎朝襲い来る寝起きのだるさ。慢性的な胃の重たさ。
隙あらばスマホを見てしまう癖。
バックアップを取っている無数の写真。
ほぼ抜けたことがないLINEのグループ。
なんとなく開いては閉じ、また開くSNS。
面倒なことはとりあえず後回し、現実逃避ばかりの自分。
「もしこうなれたらどんなに良かっただろう」「ここだけはどうしても譲れないよ」
捨てられない、たくさんの気持ち。

どうして「捨てたい」ものも、なかなか捨てられないのでしょうね。
本当は「捨てたくない」んでしょうか。それとも、

「捨てる」とは、勇気が必要なことなのでしょうか。


限られた人生、全てを捨てずに持ち続けることはできないし、生きている以上、私たちは「捨てるもの」と「持ち続けようとするもの」を選ばないといけない。

全てを捨てずにいられたのなら、どんなに良いだろう。
何も捨てたくない、何一つ「捨てなくても良いもの」であるのならどんなに、!

そう願ってしまう私は欲張りなのでしょうか。

たくさんの「捨てられないもの」たちを
私たちは必死に「捨てられるもの」に変えたり、時に「捨てなくて良いもの」に移行させたりしながら生きていて、
でも断捨離だなんて、そう簡単に上手くいくわけもなく。

やっぱり私は「捨てる」という行為が苦手だ。
優柔不断な私は、いつだって「捨てる」という選択から逃げようとしているのかもしれない。

そんな欲張りな私を、私は捨てたくない。


ひなた

kikusuku編集長のひなたです。演劇とテレビドラマと甘いものと寝ることが好き。立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻・博士前期課程修了。

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