補助線

3月24日。

今日は、先輩と後輩の卒業を見送った。4年間の大学生活を終える後輩たちと、2年間の大学院修士課程を修めた先輩たち。「もうこうやって大々的に卒業を迎えることはないんだろうな」と、一年遅れで卒業した同期が言っていた。そうだ、同期のことも見送っていたのだった。
この言葉を聞いて、先日の「卒業」座談会を思い出す。

部活を辞めた時、卒業を引きずった時、、、納得のいく「卒業」とは?(座談会・後編)

kikusuku3月の特集テーマは「卒業」座談会【前編】では「大学など学校を卒業して社会に出た後、何かから卒業することはあるのか?」という話題からトーク! 【後編】では…

「あなた満足していいんだよ」って後押ししてくれるのが卒業式・卒業証書だったんだね。

『納得のいく「気持ちの卒業」って実はレア?』より、鹿の子の発言

この言葉を耳にした時、私はすごくドキッとした。

「もう満足していいよ」

その言葉を受け取ることができたとしたら、私の心はどれだけ救われるだろう。どこまでやったら/どうしたら私は満足できるのか、満足するってどんな状態なのか、私には分からないから。
でも、いつまでも満足したくない自分もいるような気がする。満たされてしまう、って怖い。

いつでもなにかが満たされていないわたしたちへ。

マモルです。 わたしは今年大学を卒業し、 映像制作会社で働いている社会人1年生です。 社会人になって、 最近、普遍的に人ってこうなんじゃないか? と思うことがありま…

(マモルが以前、似たような話題で記事を書いていたのを思い出す。)

わたしが常に満足できないのは、いつでも満足できるように身体の調子が整っているからなのです。むしろハッピーな状態です。

マモル「いつでもなにかが満たされていないわたしたちへ。」より

区切りは否応なしに訪れて、私たちに「終わり」と「始まり」を与える。いつまでも満たされない私たちが、満足したり、諦めたりするための線引き。けれど、心が追いつかないことだってあると思う。時間的な区切りと気持ちの区切りは別物だから。

例えば部活。全国大会で優勝した人の引退だって、怪我で試合に出られなかった人の引退だって、それは一律に訪れる。
つまり区切りとは、一種のタイムリミットだ。それまでに“満足”してくださいね!という期限。その区切りをすっきりとした気持ちで迎えられるように。やり残しがないように。きっぱり諦めがつくように。

区切りは、いつだって勝手な速度でやってくる。

4月も数日が過ぎ、大なり小なり、それぞれの生活に新しい風が吹いているのだろうか。気持ちの面ではまだ何一つ卒業できていないというのに、気がつけば新生活が始まっている。そんな気持ちを抱えた人も少なからずいるでしょう。

「春は寂しい季節だね」

以前友人に言われた言葉を、やけにはっきりと覚えている。
時間は流れ続け、止まってはくれないということ。変わらないものはないということ。
時々、無性に寂しくなる。

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でも知っている。

終わりがあるから満たされるし、踏ん張りが効く事もあるということ。
終わりがあるから、美しいということ。終わりがあるから、始まりがあること。

私はいつも区切りに間に合わせようとして、ちゃんと気持ちの卒業も迎えたくて、ついつい生き急いでしまいがちになるけれど、

区切りはきっと、人生の補助線だから

だから、

新生活に胸をときめかせているあなたも
前の生活に後ろ髪を引かれているあなたも
周りが迎えた節目を見守っているあなたも。

時々肩の力を抜いて、新年度という一つの区切りも生きていきましょうね。遠くを見過ぎず、近くを見過ぎることもなく、のんびりピントを合わせて。

区切りは、あくまで補助線だから。
自分のペースで、自分だけの線を引いていけば良いのだから。

私は、まず深呼吸から始めてみようと思います。
知っていますか?深呼吸する時は、先に息を「吸う」のではなく「吐く」と良いって。息を吸ってばかりいると上手く空気が入ってこないけれど、吐き切れば自然と息が吸えるから。

ふーっと息を吐き切るところから、始めようと思います。

まだ桜の咲いている3月より、新年度の私たちへエールを込めて。


ひなた


ひなた

kikusuku編集長のひなたです。演劇とテレビドラマと甘いものと寝ることが好き。立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻・博士前期課程修了。

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