『くしゃみのふつうの大冒険』#07

くしゃみの読書熱


“あいうえお”を覚えてからというもの、くしゃみは、図書館に毎日のように通っています。

くしゃみは、読書が楽しくて仕方がありませんでした。言葉の意味がわかりはじめると、世界の見え方がどんどんどんどんと広がっていくのです。本棚に並ぶ本たちの背表紙を見ているだけでも、あれはどんな物語なんだろう、これはきっとこんな物語なんじゃないか、となんだかワクワクしてきてしまいます。

最近のくしゃみの癖は、本を借りる前に、タイトルと表紙の絵から勝手にその物語を考えてしまうことでした。裏表紙の解説は、読みません。内容については何も知らない状態で、その本を読みたいのです。

なので、ほとんどの場合、実際の物語とくしゃみが勝手に想像した物語とは、まったく異なるものでした。そして、くしゃみはいつもこう思うのです。

「これじゃないっ!!」

ただ、そんな風に思っても、その本を楽しんでいないわけではないんですよ。ほとんどの本は、ひとつの作品としてとても良質なものばかりで、読み終わった後には5分くらい何も考えずにただじっと目を閉じていたい気持ちになるのでした。


そんなくしゃみのお気に入りの本は、『ちいさな金魚、海に住む』という作品です。

この本は、子供が海の生きものについて楽しくわかりやすく学べるようにとつくられた児童書で、水槽から海に引っ越してきたちいさな金魚が、新生活を送るにあたって、近所に暮らす他の魚たちの特徴や性格を学んでいくという物語内容になっています。

表紙には、水面から射し込む明るい陽に照らされた色とりどりに光り輝くサンゴの街とその上をポツンと泳ぐちいさな金魚が描かれており、裏表紙には、「海の生きものについて楽しく学べる名著」と記されています。

しかし、タイトルと表紙のみで借りる本を選ぶくしゃみは、てっきりこの本が「憧れと現実、そして挫折と希望」を描いたドラマだと勝手に思い込んでいました。つまり、憧れだけを理由に都会で暮らそうとしたちいさな金魚が、この一見美しいサンゴの街の汚れた部分や他の魚と共存する苦しさに気づくという物語です。

くしゃみは、ちいさな金魚は最後にはきっと、元の水槽に戻る選択は取らず、大切な存在となる魚との出会いをきっかけに街で暮らすことの楽しみを知っていくのだろう、といっぴきで勝手に想像して、勝手に感動していました。

しかし、実際に記されていたのは、くしゃみの覚えているところでは、貝を持たないクリオネがマキガイの仲間であることや、カタツムリにそっくりなナメクジがマキガイの仲間であることなど、魚の説明ばかりでした。

それでも、ちいさな金魚が出会いと別れを繰り返すうちに少しずつサンゴの街の一員になっていく物語は、寝る間を惜しむほどくしゃみを夢中にさせました。

きっと、物語が想像通りだったかそうじゃなかったかなんてことは、くしゃみにとってはどうだって良いのです。彼にとっては、その本を手に取りワクワクして、期待が溢れて勝手に物語を想像して、本を開いて魅了されて、言葉がイメージとして頭の中で動き出して、本を閉じて感慨にふける、というこの経験すべてが「1冊の本を読む」ということなのでしょう。


さて、今日もくしゃみは、図書館に向かいます。

年末年始になると図書館は閉まってしまうので、たくさん本を借りておこうと思ったのです。

今回は、『海の掃除屋 ホンソメワケベラ』の上・下巻、『宇宙の果てにメロンパン』、『火曜の次は、水曜日?』、そして『月地底旅行』の計5冊を借りました。

どれもくしゃみが勝手に物語を想像しそうな本ばかりですね。

でも、それがどんな物語かなんて読んでみなくちゃわかりません。

『ちいさな金魚、海に住む』は、どうしたかって?

実のところ、くしゃみはもうあの本を借りる必要がなくなりました。

ある寒い朝に目が覚めると、『ちいさな金魚、海に住む』が赤いリボンで包まれた綺麗な緑の袋に入れられて、枕元に置かれていたのです。

隣には、メッセージカードが添えられていました。先月北国から引っ越してきたばかりのヘラジカくんからです。そこには、くしゃみにもわかる“あいうえお”で、「いつもありがとう」という言葉と彼の故郷に伝わるしきたりについて記されていました。

それによれば、ヘラジカくんの故郷では、その年の最も寒い冬の日の朝に親しい誰かへプレゼントを贈るのだそうです。それも、贈る相手には気づかれないように、夜の間に枕元に置かなくてはいけない、という条件付きで。

くしゃみは、お気に入りの本が自分のものになったこと、そして、ヘラジカくんが自分のことを「親しい誰か」と思ってくれていることが嬉しくて、起きてすぐにベッドの上でピョンピョンピョンピョン飛び跳ねました。いつどうやってヘラジカくんが家に入ってきたのかなんてことは、気にもなりません。

部屋の隅に住んでいる蜘蛛の奥さんがくしゃみの興奮を落ち着かせなければ、きっとベッドの脚が折れていたことでしょう。

しかし、不思議なことに、『ちいさな金魚、海に住む』を自分のものにしてからというもの、くしゃみはこの本をすっかり読まなくなってしまいました。開くとしても、ページをめくってお気に入りの挿絵を眺めるだけです。

ヘラジカくんからもらった本は、いまではポツンと机の端に置かれて、軽くホコリもかぶっています。

だからといって、くしゃみがこの本を嫌いになったのかというと、それは違います。彼にとっては、やはりかけがえのない大切な1冊であることは確かです。

きっと、ヘラジカくんからもらった本は、「物」として大切で、『ちいさな金魚、海に住む』は、あの時のあの自分が読んだあの「作品」として大切なのでしょう。

ただ、それだけのことなのです。



作・絵 池田大空



『くしゃみのふつうの大冒険』
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